「南相馬市は、東京電力福島第1原発事故に伴い、県外産を使っていた市立の小中学校や保育園などの給食用米を、今月から県内の会津産に切り替えた」
見出しだと、会津産の農産物に安全性の疑問が付されているように読めるが
「市はできるだけ早い時期に南相馬産を含む相双地域のコメを利用する方向にかじを切りたい考え。しかし、安全性を疑問視する保護者の反対も根強いことから、踏み切れずにいる」
ここまでの部分で、安全性に”不安”を持たれたとされるのは相双地域のコメであることが分かる。
まあ、割と事故の影響があった相双地域について「不安! 不安!」と言いたくなる気持ちが出てくるのは仕方ないといえば仕方ない。が、事故当初からそもそも影響のない会津産についてさえ「安全性疑問視」の声があるように伝える見出しは、まあ、「うまいこと、読者をリード」しようとする意図がある…と評価されても仕方ない。
というか、上手い人なら、そういう記事を書けるし。
意図せずこうなった、というなら、「纏め方が悪かったですね」の一言だろう。
意図して状況を作りあげたのかもしれない例は:
現在の「おたく=犯罪者予備軍」という構図を作った人の証言。「自分達が世論や歴史をミスリードする危険がある」と気付いてないのが、更に怖い。|【宮崎勤事件】読売新聞記者による"真相"告白 - 漫画・アニメ・ゲーム・映画の表現規制問題まとめ http://t.co/ezrcH97kqK
— 咲村珠樹/C90・3日目西へ-02a (@SabreF86) 2014年10月1日
南相馬市:給食に会津産米 地産地消目指し理解求め 保護者、安全性疑問視も 毎日新聞 https://t.co/jtMnOazskNなぜこんな見出しをつけるのでしょう。会津と原発の距離は100キロ以上。「安全性疑問」を保護者のコメントでなく、ファクトで提示してほしいものです
— 上 昌広 (@KamiMasahiro) 2016年12月10日
こうも言いたくなろうというもの。
2割の人が反対する事を、何でも事なかれ主義で止めてしまうと、意味のある事は殆ど何も出来ない社会が完成する。 https://t.co/sH7tvVCfDa
— Norio Nakatsuji (@norionakatsuji) 2016年12月10日
そうして、たとえば
あれまあ、除夜の鐘にまでうるさいとクレームをつける人がいるのか。どう考えても寺の方が先にあるよね。後から来た人が文句を言うわけか。煩悩を払う大晦日の儀式で毎日打つわけじゃなかろうに。いずれゆく年くる年もなくなるのか。言ったもん勝ちなのかね。何故そんなに苛立っているんだろう日本人。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2016年12月6日
…とまあ、こういうわけの分からないようなことも起こる。
そうして、ポリティカルコレクトネスとかでアレコレを予め罪に落とし込んでおいたりして、人々をリスクテイクからさらに遠ざけ―
ルワンダでのドローンによる薬品配送はすでに儲かっている。なぜなら悪路の陸路より簡単だから。だから実証実験なんかじゃなくて、ぜんぜん利益のでるビジネスだと。というのを聞くと、ドローンでピザ配達とか冗談に思えてきますよね
— Ken Nishimura / 西村賢 (@knsmr) 2016年12月8日
ドローンを見たルワンダの人たちは技術に歓喜する。ところがアメリカ人は悪用懸念のネガティブなことばかり言う。いつの間にわれわれは変わってしまったんだ、かつて道路を作り、飛行機を作ってきたじゃないか、なぜアメリカ人は技術に対してこうも保守的になったんだと、そんなことも言ってたな
— Ken Nishimura / 西村賢 (@knsmr) 2016年12月8日
…人々は「保守的」になる。
こうした事態によって、いったいどれほどの人が幸せになるのか、私にはわからない。
或いは、政治的に正しい行為ということで、女性の社会進出を強力に推し進める場合―
すでに女性と高齢者の労働参加率がOECD平均を上回ってる中でこれ以上働き手を増やすとなると単に働かざるを得ない状況を作り出すだけな気がしてならない
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年9月30日
専業主婦だった人とか高齢者の大部分は働いてもたいしたカネにならないんだしその人たちの活用を言う前に本人にとって働くことが幸せかはきちんと考えるべきだと思う
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年9月30日
扶養控除を削られた専業主婦が生活のために子どもを保育園に入れて働き始めましたって確かに女性の雇用が増えてるけど誰も幸せになってなくね?
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年9月30日
…ということになりかねない。
秘密は「輝く女性の活躍」の言い回しかと思う。
もちろん「すべての女性が輝く社会づくり」ということは言われているものの、「子育てを選んでも」女性は輝いたことになるのである、政府等のいい様だと。
―なので、高給取りのダンナの嫁さんとして専業主婦をやるもよし。そうした生き方を、”女性の自立という「正しい」態度に対する反逆である”とひとは評価するのだろうか。
いや「輝く女性」、既に輝いている、輝く能力を持つ女性が活躍できるように―高い(主に実業的?)価値を創出できる女性がきちんと社会進出できるようにということだと私は理解する。
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