空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

講義用メモ(自殺報道の問題から聴講者の市民的自覚を喚起する方向を模索)

2013-02-19 15:13:00 | ノート
読売新聞 「とうはいごう中止して」小5自殺、手書きメモ 2013年2月15日14時31分
14日午後4時25分頃、大阪府大東市のJR片町線野崎駅ホームで、同市内在住の小学5年男児(11)が同志社前発宝塚行き快速電車(7両)にはねられ、死亡した。目撃証言などから、男児はホームから電車に飛び込んだとみられる。男児は「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごうを中止してください」と、学校の統廃合について記したメモを残していた

 上の件を引いて”死を自己の意志を通すための手段として使おうとする者が出るのだ,自殺報道(の仕方)の問題だ”という向きを見た。それはそれで尤もなのだが―

navi-area26-10の国際ニュース斜め読み [中国]チベット人焼身自殺、09年以降100人超えました。
誰かが数えなければ無駄になってしまうと思っていましたが、数えてくださっている方がいたようです

 チベット人の自殺のニュースを見れば,これに圧制への抵抗として意義を大いに認める向きは大いにあろう。『このような報道はもっとなされねばならない,知らしめねばならない』と思う向きも多かろう。

 一方では『自殺報道を止めよ』と言い,また一方では『是非自殺の件を知るべきだ』となる。1人の人間の上に起こるにしては矛盾も甚だしいが,しかし大いに起こりやすいことではあるだろう。

 さあどうしよう?

『一般に自殺報道はなされてはならない』という規則を適用すると,チベットの抵抗について報道しえないこととなり,それは中国の圧制を利することになるだろう(勿論,そうしたことを望ましいと考える政治勢力はこの機会を活かそうとするだろう)。

 とはいえ,自殺報道に規制をかけなければ,己の死をもって己の意志を世界・社会に強要しようというアイディアも野放しになりかねない(自爆テロなんかはその実用の一例ではある)。

『いやだからそーいう両極端の説で煙にまくのは,いいから』と我々のような者に半畳を入れる向きもあろう。そして続けるかもしれない,『なんかさあ,丁度いい規制っての,あるだろ?』などと。

 では,そのちょうどいい規制というのの場所はどこなのだろう。

 そりゃあ”間を取る”のだろうけど,その”間”がどこか,解釈の範囲はどれほどか,それなりには決めなきゃあいかんのだろう。その考察は誰がするんだ。誰がそのコストを支払うんだ。

「市民が主役なのだ」と主張する向きであれば,ではそういう者こそがそのコストを支払うべき者の,しかもわりと有力な一員ということになろう。yes, noを言うだけの,典型的な「大衆」であっては,そういう者たちはいけないのだ。学者並に/学者以上に,マスコミ並に/マスコミ以上に,官僚並に/官僚以上に…語れるようになるべきなのだ。

 ―いや,まあ,知的生産者とかにアウトソーシングする方法もまああるだろうけど,それ,『一般人たる私はは知識人の知的奴隷になりますから』ってことになりかねない(勿論,程度問題ではあるけど)。やっぱり,”一般人”も,それなりに対等に対話する主体として立ち現われてくれないと困る―民主主義的にはそうだと思うんだ!


 ―と,以上,講義用メモ。
 問題提起して,”考えはじめる”ことを促し,また一応の方向性を示すことを意図。


 なおこーゆーのはダメだよな,という例:togetter ナチス・ドイツと天皇制日本(と出羽守)

『自分は素人だから歴史に詳しくなくてもいいんですぅ』という態度丸出しで歴史を語り,法哲学者に歴史の事項についての突っ込みをうけて『国立大准教授が一般人に物知らずっていうのかよ』と逆切れするのは,流石に格好悪い。待て,そのおっさんは法哲学を教えるひとだ! 

 …『俺達の税金で養われているんだから俺達に奉仕せよ』という見解もまああるが,まずは本務校への義務が優先されるものかと思われる。
 生身の人間は碌々見てないこの私の頁にしたところで,一応仮にも一般へ公開している格好ではあるが,これ,そのうち講義に組み込むのである。


 コストは,何らかの格好で支払わねばならんのである―それが時間であれ,金銭であれ,知的能力であれ。せめてWikipedia関連個所を読み漁り,ドイツ近現代史の知識を得るもよし,自分の気に入る報道機関を支持し記事を購入し寄付をしてみるもよし。なにもせず,ただ”いつか僕が思う理想的な状態が実現したらいいなあ。ああその理想状態がどんなのかは誰かがうまいこと考えてくれるといいと思う”とだけ漠然と思っているだけなのは,それは単に不平屋,怠惰というわけだろう。

 裏をかえせば,自由報道協会などは,積極的支持者を必要なだけは獲得できず,結果的には単なる不平屋なり怠惰な者なりの消極的支持を得る程度にとどまったということか。
 もう過去の存在扱いしちゃっても…いいんだろうなあ,これ…。

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