BuzzfeedJapan 「学歴」という最大の分断 大卒と高卒で違う日本が見えている Satoru Ishido, posted on 2016/12/30 06:01
冒頭部分に「18歳で引かれる分断線」とあるが、既にその大分前の段階で分断が実質的になされていること、後のほうに「最初から子供に投資をするメリットを感じないーーあるいはできないーー家庭もある。そこで生まれた子供には親の学歴を超える動機はない。そんな子供の割合が高いのが、高卒親の家庭になる」と説明がある。また「ちなみに、小中学校から受験をさせる家庭は大卒親家庭が圧倒的に多いという。早くから子供に投資し、大卒という切符を早めに買うというのが動機だろう」とも、ある。
―「選別」、「分断」は、実は生まれたときに既にある―というわけ。
現実を突きつけられる、多感な18歳―という冒頭部分のアオリは、多感な18歳(を想起する者)に対する「作文」なのだ。見事な効果・期待される効果を挙げるものとおもわれ、見事な腕である。
ともあれ。
この「学歴社会」なるものは、すくなくともその一部は貧困問題・貧困対策と関係する。当然だが。そこを認めたうえで、社会的統合を再生・再獲得しようではないか、という課題である。
「「貧困と学歴が結びつくのは、学歴が足りないから、ではなく、貧困対策が足りないからです。そこを間違えてはいけない」」
そこを間違えてはいけない。見かけ上の”平等”を求めると―
「例えば、結婚式を想像してほしいと吉川さんはいう。招待された式で、大卒ばかりが集まっているのか、高卒ばかりが集まっているのか。双方、バランスよくいるのか」
―偏っている場合、そこでは学歴の世代間再生産が行われていることが現れているのだ―というわけ。これを見かけ上是正するようなことをすると、まあ、独ソ戦初期にあったという親衛戦車師団の人員構成のよーなあほなことになり、かえって非効率きわまる。
「「例えば高卒の18歳を、いきなり流動化する労働市場にさらすのではなく、正社員として働いて、職能を身につけさせれば、社会にとって大事な力になります」」
一定の安定を供給し、そこでスキルアップしてもらう―。この場合、スタート時点でのスキルの差は、その後の訓練の差に現れるだろう。訓練も業務も、多く集団で行われるものであり、従って確率的には「出会い」もそこで起こりやすくなり、結婚式での「ご友人」等も確率的にはこの当の集団から選ばれやすくなる。
それがこの場合の「生きられた空間」であり、身近な、親しい、その限り自然な状態なのだ。
これを”政治的な正しさ”を基準に塗り替えようとしても―まあ、無理が出るわな。
なので、中核的な課題は貧困対策。それは、労働からの搾取をどの程度にとどめるか・再配分はどうするか、という話に連なるだろう。
「「日本経済の強みとは何かを考えると、私はボトムの高さにあったと思うんです。高卒だって世界的にみれば決して学歴としては低くないわけです。彼らが手を動かしているから、大卒は別の仕事に専念できた。いまの社会は日本経済の強みを手放していますよね」」
このように、職分がそもそも違うこと、そしてそれなりに給料が違うだろうことは否定されていない(はずだ)。
だから、搾取と再配分との程度問題なのだろう。そこに納得がいくなら、社会はそれなりに(ゆるく)統合を維持するだろう…。
なお、「」付きのところは吉川徹氏の言葉の模様。検索すると、筑波の2015年のDC1特別研究員奨励費のひとが出てきてびっくりしたが、さすがに違うわな。この人だろう:
KAKEN 平成期の社会意識の趨勢の計量的解明 (基盤研究A) 2016-04-01 – 2019-03-31
これなら僕もやりたいような、興味のある課題だが、まー僕は関係ない分野だからー。
むかしの同級生をさぐれば、インフォーマントにこまることはないだろうにね(ブラックジョーク)。
…それとも社会学は、みんながみんな、幸せな家庭を築けるようなカネ回りがいい領域なんだろうか。
……ぼく、人生に失敗したかなあ。
ウチの分野はどうしようもなく就職口がなく、『給料? 出るだけいいじゃねえか』状態なので、なんともかんとも。
学部まではそれでいいかもしれないが:
鉛のような言葉である。
これは面白くて、男性にむけて「おまえら、若い女がスキなんやろ?」という本音がばっちり出ている。
でまあ、女性に対して、「おまえらの”偏差値”の結構重要な要素って、若さやからな? 若さ」と語りかけている。
もちろん、「政治的に正しくない」ようなものだが、ビッグデータで一般意思みたいなのを抽出しようとすると、こうなるよなーという感じ。
でまあ、上の話に絡めていうと―若い子の教育をしていると、「男の子は気付くんですけどねえ」「女の子だから、なんとかなるかなって」という話を聞くことがありまして。
…つまり、18歳なり22歳なりで、男の子は将来、自分が所属することになる階層の見込みが立つ。そこで気付かされる。半ば強制的に。他方、女の子は「玉の輿」の可能性があって、18歳なり22歳なりでは「気付かない」で済ませることが出来たりする、「なんとかなる」と思える―ということのよう。
もちろん、この見立ては、”男こそが働くのだ”という世界観に根っこをもっていたりして、これはこれで「政治的に正しくない」が。が。どうも現実の一部だよねーはっきりとー。そうでなければ是正措置とか生起してこないわけだしー。という思いを身にしみて理解する今日この頃。
冒頭部分に「18歳で引かれる分断線」とあるが、既にその大分前の段階で分断が実質的になされていること、後のほうに「最初から子供に投資をするメリットを感じないーーあるいはできないーー家庭もある。そこで生まれた子供には親の学歴を超える動機はない。そんな子供の割合が高いのが、高卒親の家庭になる」と説明がある。また「ちなみに、小中学校から受験をさせる家庭は大卒親家庭が圧倒的に多いという。早くから子供に投資し、大卒という切符を早めに買うというのが動機だろう」とも、ある。
―「選別」、「分断」は、実は生まれたときに既にある―というわけ。
現実を突きつけられる、多感な18歳―という冒頭部分のアオリは、多感な18歳(を想起する者)に対する「作文」なのだ。見事な効果・期待される効果を挙げるものとおもわれ、見事な腕である。
ともあれ。
この「学歴社会」なるものは、すくなくともその一部は貧困問題・貧困対策と関係する。当然だが。そこを認めたうえで、社会的統合を再生・再獲得しようではないか、という課題である。
「「貧困と学歴が結びつくのは、学歴が足りないから、ではなく、貧困対策が足りないからです。そこを間違えてはいけない」」
そこを間違えてはいけない。見かけ上の”平等”を求めると―
「例えば、結婚式を想像してほしいと吉川さんはいう。招待された式で、大卒ばかりが集まっているのか、高卒ばかりが集まっているのか。双方、バランスよくいるのか」
―偏っている場合、そこでは学歴の世代間再生産が行われていることが現れているのだ―というわけ。これを見かけ上是正するようなことをすると、まあ、独ソ戦初期にあったという親衛戦車師団の人員構成のよーなあほなことになり、かえって非効率きわまる。
「「例えば高卒の18歳を、いきなり流動化する労働市場にさらすのではなく、正社員として働いて、職能を身につけさせれば、社会にとって大事な力になります」」
一定の安定を供給し、そこでスキルアップしてもらう―。この場合、スタート時点でのスキルの差は、その後の訓練の差に現れるだろう。訓練も業務も、多く集団で行われるものであり、従って確率的には「出会い」もそこで起こりやすくなり、結婚式での「ご友人」等も確率的にはこの当の集団から選ばれやすくなる。
それがこの場合の「生きられた空間」であり、身近な、親しい、その限り自然な状態なのだ。
これを”政治的な正しさ”を基準に塗り替えようとしても―まあ、無理が出るわな。
なので、中核的な課題は貧困対策。それは、労働からの搾取をどの程度にとどめるか・再配分はどうするか、という話に連なるだろう。
「「日本経済の強みとは何かを考えると、私はボトムの高さにあったと思うんです。高卒だって世界的にみれば決して学歴としては低くないわけです。彼らが手を動かしているから、大卒は別の仕事に専念できた。いまの社会は日本経済の強みを手放していますよね」」
このように、職分がそもそも違うこと、そしてそれなりに給料が違うだろうことは否定されていない(はずだ)。
だから、搾取と再配分との程度問題なのだろう。そこに納得がいくなら、社会はそれなりに(ゆるく)統合を維持するだろう…。
なお、「」付きのところは吉川徹氏の言葉の模様。検索すると、筑波の2015年のDC1特別研究員奨励費のひとが出てきてびっくりしたが、さすがに違うわな。この人だろう:
KAKEN 平成期の社会意識の趨勢の計量的解明 (基盤研究A) 2016-04-01 – 2019-03-31
これなら僕もやりたいような、興味のある課題だが、まー僕は関係ない分野だからー。
「社会」学者が向き合わなきゃならんのは年収800万の上等なサラリーマンや400万づつ稼げるような夫婦でなくて、年収200万以下(15万×12なんて珍しくもないよな?)の無貯金無年金無スキルのまま40過ぎてしまった新自由主義に棄てられた人たちだと何でわからんか。
— dada (@yuuraku) 2016年12月24日
むかしの同級生をさぐれば、インフォーマントにこまることはないだろうにね(ブラックジョーク)。
…それとも社会学は、みんながみんな、幸せな家庭を築けるようなカネ回りがいい領域なんだろうか。
……ぼく、人生に失敗したかなあ。
アカデミアにおいては,特に国立大学ですが,初出勤日に給与等条件を知ると言う問題もあると思います。しかし事前に給与を聞けば「金のことを気にする奴はいらない」と言われ(略
— ポスドク問題とアカハラを考える会 (@UNIONTELLING) 2016年12月28日
ウチの分野はどうしようもなく就職口がなく、『給料? 出るだけいいじゃねえか』状態なので、なんともかんとも。
日本では大学名が身分制度になっている、とは誰の言葉だったかな。この「身分」によって入れる会社が決まったり、下手すると結婚にも影響を及ぼす。そしてこの身分を決める大事な儀式である受験を乱すような、「学歴ロンダ」やAO入試はけしからん、ということになる。
— yk_ga (@yk_ga) 2016年12月22日
学部まではそれでいいかもしれないが:
大学院で生き抜くために必要な能力はもちろん学部のそれとは違うのだが、一昔前の「不器用だと眼科医になれない」と同じで字が読めないと文系の院では大変つらいことになるというのも事実。研究の効率がぜんぜん違ってくるからね。そしてこの点は学部の偏差値である程度予想できたりもする。
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2016年5月8日
鉛のような言葉である。
同じくらいの偏差値じゃないじゃん何言ってんだ pic.twitter.com/REINDf7bhz
— 絶対に終電を逃さない女 (@YPFiGtH) 2016年12月6日
これは面白くて、男性にむけて「おまえら、若い女がスキなんやろ?」という本音がばっちり出ている。
でまあ、女性に対して、「おまえらの”偏差値”の結構重要な要素って、若さやからな? 若さ」と語りかけている。
もちろん、「政治的に正しくない」ようなものだが、ビッグデータで一般意思みたいなのを抽出しようとすると、こうなるよなーという感じ。
でまあ、上の話に絡めていうと―若い子の教育をしていると、「男の子は気付くんですけどねえ」「女の子だから、なんとかなるかなって」という話を聞くことがありまして。
…つまり、18歳なり22歳なりで、男の子は将来、自分が所属することになる階層の見込みが立つ。そこで気付かされる。半ば強制的に。他方、女の子は「玉の輿」の可能性があって、18歳なり22歳なりでは「気付かない」で済ませることが出来たりする、「なんとかなる」と思える―ということのよう。
もちろん、この見立ては、”男こそが働くのだ”という世界観に根っこをもっていたりして、これはこれで「政治的に正しくない」が。が。どうも現実の一部だよねーはっきりとー。そうでなければ是正措置とか生起してこないわけだしー。という思いを身にしみて理解する今日この頃。
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