空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

アイヌものをめぐっての雑感メモ

2018-08-28 21:56:53 | ノート




 なにがどう悪いのか―



アイヌと縁もない日本人が特殊メイクでアイヌっぽく演じ」るのは、演劇等々の「つくりもの」であるからにはしょうがない「お約束」ではなかろうか。
 我々はドラマを見るときにはドラマを見たいのであって、例えばトランスジェンダーの役柄をトランスジェンダーが演じるという政治的正しさを見たいわけではない、のではなかろうか。同様に、アイヌがでてくるドラマを見るときには、ドラマの中で概念的にある人物をアイヌと見做すのであり、別にその当人がアイヌであるかどうかは副次的な課題ではなかろうか。

 …突き詰めていけば、「独身男性」をドラマの役柄として使う場合、現実に独身男性である役者を使わなければいけないことになる。



 日本で作る日本のドラマであり、それは日本のドラマ作成の文脈に従う部分がそりゃあ出る。ステレオタイプとか当然それで、「頬に木炭で三本「ヨゴシ」を入れれば、それは「戦火をくぐりぬけた苦闘のあとである」と見做す」というような歌舞伎文化というかなんというか、なもの。そうした日本的なドラマ作成様式と社会学で扱うステレオタイプの問題とは、多く重なるものの、全同ではあるまい:



 そちらの意味だけでは追求しきれない。



 こうまで来れば問題の所在はそれなりに理解できる。
 しかしまあ、じゃあまあかまわんから、ジェンダー的に正しく、かつ面白い作品でもなんでもつくり出してくださいなーという気は多少する。幾夜大黒堂先生なんかすっげえよな、と思うんだが。

 …漫画として面白すぎて、エロ漫画のはずなのにエロ漫画的に読めないというくらいなのは、なんというか、まあ…。

 なお上の文章だと深キョン氏の自発性・主体性を無視するのは問題点足りえる。彼女は「やらされ」るだけの受動的存在なのだろうか?と自らに問いかけてみればいい。



 …「フェミニズムの問題系では、明らかに「女性」への「加害者として男性が存在している」」ならば、当然男性にとって女性は加害者として存在することになりかねないし、そもそも女性と男性との和解が原理的に存在していないことになる。それはそれで、問題摘出には有益な視点ではあるものの、常に丸出しにするのはきっつい思想ではある。

 というか、あまりにも厳しい批判的態度は自分自身をも解体するので、そこそこで止めておくのが社会生活的には吉。
 この例においても、『あるものの見え方・考え方を強制する権力』である自分自身をどう批判するのか、という大問題が発生する。
 …どこらへんまで攻めていいのか、大変微妙な舵取りを要求されるものなので、まあ注意するにこしたことはないよなあと。

 ともあれ、幾夜大黒堂先生の作品を積極的に買おうと思った今日この頃。




 こちらのほうは解りやすい。
 まあ内容含めてそういう評価にはなろうが、なんというか、ディズニー・ポカホンタスにどれだけ追随できるかとかいう話になるだろうか。私は映像関係、えらく弱くて、適切な例を挙げえないが。

 まーその、『ゴールデンカムイ』が成功したので、次の世代には期待しようとか言う感じで。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国連報告書発表の後に何が起... | トップ | パワハラ話のメモ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事