警鐘第一声後。
まあ「自爆攻撃」と直訳するほうが中立的かもしんない。
しかしまあ,たかだか検問所程度を「軍拠点」というのもなんだなあ。
「組織的戦闘ではない」は大きなメルクマールだと思われる。プロの兵隊さんがプロを相手に,それなりに正々堂々,如何に真正面から裏をかいて自軍の損害を抑え相手に打撃を強い,速やかな目的達成を目指す―というのが”組織的戦闘”のイメージだろうか。
暴力を野放図にぶちまけると大変なことになるので,戦争にもルールが必要だよねえというのが我々の理性でもあろう。でまあ,だから,自爆攻撃―ふむ,伝説上の爆弾三勇士だって「組織的戦闘行為ですぅ」ということで軍服を着ている,はずだ。
なんで私がこの件を「自爆テロ」と呼んではばからないかっていえば,
・組織的戦闘でない
事にくわえ,
・三輪車で通りすがりにどかん,というからには,日常を偽装している不意打ちである
無差別に一般市民を巻き込む。つまり,さしあたり直接的に通りすがりの民間人を巻き添えにすることも多々ありますが,それ以上に,今後兵隊たちは常にそばを通る全く人畜無害な民間人をさえ「爆発しやしないか」と警戒の目で見なければならないことが重要。
―そりゃあそれ,軍事的には,兵隊の疲労を呼ぶ訳で。その意味では合理的ですけど,常に警戒される一般人の心理的負担も大きいだろ,それ。
いつ疲労の極みでブチ切れた駐留軍兵士がしゅーてぃんぐすぷりーぶちかますか分からんのだ。なんでそんな恐怖を一般人に押し付けるのよ。
まあそこまでいかないまでも,この手のテロがはびこると―
―そうねえ,そろそろ,我々の地域でも卒業式とかの時期よね。
祝福に花輪を飾ったりする向きもあろう。
「卒業生さん,おめでとう」―テロ地域だと,そういう花輪を飾ると,警察にしょっ引かれる恐れが出たりするんですが。いや常識的には卒業式場に花飾りがあったら常識的には祝福のために誰かがかざったんだろうと思うわけですが,その盲点を利用して殺る気満々な爆弾仕掛けたりする人がいましてですね。
それまで含めて,無差別に民間人を関与させるのだ。だから卑劣だというのだ。
さらにいえば
・少年が実行犯である
今まで数年この種のニュース見てた経験からいって,プロはあまりこーゆー使い捨て鉄砲玉はやりませんよ。実際の現場を見てきたひとは別個の意見を持つかもしらんが。
少なくとも,Turkiはまだ自爆してないし,Abu Mus'abも爆発してない。ザワヒリだって爆発してないだろう,私は記憶してないが。
自爆テロのタネに使われるのは,『をを! 今まさしく圧政に対して立ち上がるッ! 君こそ運命に選ばれたる聖戦士なのだッ!!』とか言われて舞い上がっちゃうそこら辺の,プロとしては使い様がない並の少年だったりするわけで。
マドラサでセンセイから『ちょっと君,国境線の向こうで爆発してこい』ってゴシドーされたりするわけで。
―だから,私ははっきり,アレは「自爆テロ」だという。
ものの分からぬ子供や,自分の人生に絶望した若者に”今の自分とはちがう”人生―聖戦士として自爆する死,場合によっては遺族に対する補償あり―を提示して,ああ,それは”生きがいを与えた”と言えるかもしれないね。
でも他者の命をもてあそび,他者の人格を手段に落とし込み,己れは作戦指導部で安穏でいるっての,あんたたちがキライな「米帝」や「軍産複合体」の指導部と何が違う。
ああ,まあ,「米帝と敵対している」とゆーのは異なる点かな。
僕ははっきり,そーゆー連中は嫌いだと主張する。
彼らの間には,「米帝を倒す」という歴史的・階級的大戦略目標のために手を結ぶっていう選択肢はあるかもしれない。けれど私は,一般民衆の生活をまるっと犠牲にして恥じない者たちと和するのは御免蒙る。「一般人を殺しちゃったら拙いよなあ」という価値観を共有するだけ,「米帝」のほうがまだマシだ(吐き捨てるように)。
軍拠点を狙った攻撃が「テロ」で、それが「初」だと騒ぐこの記者はバカなの?死ぬの?AFP日本語版は同じ内容を淡々と「自爆攻撃」と常識的に表記:マリ:初の自爆テロ アルジェリア事件で声明の過激派か mainichi.jp/select/news/20…
— ☪常岡浩介☪さん (@shamilsh) 2013年2月9日
まあ「自爆攻撃」と直訳するほうが中立的かもしんない。
しかしまあ,たかだか検問所程度を「軍拠点」というのもなんだなあ。
Suicuide Bombを「自爆テロ」って変換するのは自分もよくやってる。「自殺爆撃」じゃ日本語としてはちっとおさまりがよくないんでな。
— ソマリア・ヲチャさん (@somalia_watcher) 2013年2月9日
政治的中立性に配慮すれば「テロ」というラベリングを避けて「自爆攻撃」を採用したほうがいいとは思うんだが、組織的戦闘ではないというニュアンスを伝えるには「自爆テロ」表記がええような気がする。
— ソマリア・ヲチャさん (@somalia_watcher) 2013年2月9日
「組織的戦闘ではない」は大きなメルクマールだと思われる。プロの兵隊さんがプロを相手に,それなりに正々堂々,如何に真正面から裏をかいて自軍の損害を抑え相手に打撃を強い,速やかな目的達成を目指す―というのが”組織的戦闘”のイメージだろうか。
暴力を野放図にぶちまけると大変なことになるので,戦争にもルールが必要だよねえというのが我々の理性でもあろう。でまあ,だから,自爆攻撃―ふむ,伝説上の爆弾三勇士だって「組織的戦闘行為ですぅ」ということで軍服を着ている,はずだ。
なんで私がこの件を「自爆テロ」と呼んではばからないかっていえば,
・組織的戦闘でない
事にくわえ,
・三輪車で通りすがりにどかん,というからには,日常を偽装している不意打ちである
無差別に一般市民を巻き込む。つまり,さしあたり直接的に通りすがりの民間人を巻き添えにすることも多々ありますが,それ以上に,今後兵隊たちは常にそばを通る全く人畜無害な民間人をさえ「爆発しやしないか」と警戒の目で見なければならないことが重要。
―そりゃあそれ,軍事的には,兵隊の疲労を呼ぶ訳で。その意味では合理的ですけど,常に警戒される一般人の心理的負担も大きいだろ,それ。
いつ疲労の極みでブチ切れた駐留軍兵士がしゅーてぃんぐすぷりーぶちかますか分からんのだ。なんでそんな恐怖を一般人に押し付けるのよ。
まあそこまでいかないまでも,この手のテロがはびこると―
―そうねえ,そろそろ,我々の地域でも卒業式とかの時期よね。
祝福に花輪を飾ったりする向きもあろう。
「卒業生さん,おめでとう」―テロ地域だと,そういう花輪を飾ると,警察にしょっ引かれる恐れが出たりするんですが。いや常識的には卒業式場に花飾りがあったら常識的には祝福のために誰かがかざったんだろうと思うわけですが,その盲点を利用して殺る気満々な爆弾仕掛けたりする人がいましてですね。
それまで含めて,無差別に民間人を関与させるのだ。だから卑劣だというのだ。
さらにいえば
・少年が実行犯である
今まで数年この種のニュース見てた経験からいって,プロはあまりこーゆー使い捨て鉄砲玉はやりませんよ。実際の現場を見てきたひとは別個の意見を持つかもしらんが。
少なくとも,Turkiはまだ自爆してないし,Abu Mus'abも爆発してない。ザワヒリだって爆発してないだろう,私は記憶してないが。
自爆テロのタネに使われるのは,『をを! 今まさしく圧政に対して立ち上がるッ! 君こそ運命に選ばれたる聖戦士なのだッ!!』とか言われて舞い上がっちゃうそこら辺の,プロとしては使い様がない並の少年だったりするわけで。
マドラサでセンセイから『ちょっと君,国境線の向こうで爆発してこい』ってゴシドーされたりするわけで。
―だから,私ははっきり,アレは「自爆テロ」だという。
ものの分からぬ子供や,自分の人生に絶望した若者に”今の自分とはちがう”人生―聖戦士として自爆する死,場合によっては遺族に対する補償あり―を提示して,ああ,それは”生きがいを与えた”と言えるかもしれないね。
でも他者の命をもてあそび,他者の人格を手段に落とし込み,己れは作戦指導部で安穏でいるっての,あんたたちがキライな「米帝」や「軍産複合体」の指導部と何が違う。
ああ,まあ,「米帝と敵対している」とゆーのは異なる点かな。
僕ははっきり,そーゆー連中は嫌いだと主張する。
彼らの間には,「米帝を倒す」という歴史的・階級的大戦略目標のために手を結ぶっていう選択肢はあるかもしれない。けれど私は,一般民衆の生活をまるっと犠牲にして恥じない者たちと和するのは御免蒙る。「一般人を殺しちゃったら拙いよなあ」という価値観を共有するだけ,「米帝」のほうがまだマシだ(吐き捨てるように)。
彼らの世界観では,一般民衆は「米帝の圧制・無差別攻撃の犠牲者」の位置しか与えられてないんじゃないのか。
なるほどIsaf等などの軍事行動による付随被害者が数でしか表わされておらず,人格を無視したものだという批判はまああろうが,しかし自爆テロの犠牲者も数字でしか言及されてないんじゃないのか。
では彼らは今まで,どれだけのテロ犠牲者の名前を報じてきたであろうか。
どれだけの「米帝の無差別攻撃の犠牲者」を報じてきただろうか。
いや,どういう状況でそれが起こったかさえ,報じてきていないのではあるまいか。