福島に住む人たちが「放射能アート」に不快感を表明する自由すら認めようとしない人たちは、明らかにリベラルではないと思います。確かにアート表現は自由ですが、それに不快感を表明するのもまた自由であることくらいは分かっていないとまずいでしょう
— kikumaco(9/7ベアーズ) (@kikumaco) 2018年8月17日
かつて福島について『ここには抵抗の文化がない』と評した人物がいたが、見てみなさいよ。防護服のアートに不快感を表明して抵抗したら「繊細チンピラ」「集団リンチ」ですよ。
— キャリ一野武士 (@3iua3) 2018年8月16日
黄色い虚像設置に絡んだ某基金。筋金入りの風評加害者を何人も「賛同人」に並べているからには、この7年以上も福島を苦しめてきた風評被害を肯定する価値観で「賛同」しているとしか思えない。「象徴」なんておためごかしではないか。
— the_spoiler (@don_jardine) 2018年8月17日
「象徴」を勝手に決めるな、という意見もあろう。
あの像別に放射能デマを撒き散らしてる訳でもないし、むしろ福島が完全に元通りになる事を願って作られた物なんだからこんな形で批判受けることになるとはな…
— エウレカ待ち (@EUREKASEVENpete) 2018年8月16日
アレがむしろ放射能デマの象徴化という認識ができない人。こういう人達の押しつける「アート」に散々迷惑被ってきて、もうやめてくれって言ってるわけですよ。 https://t.co/psBIQkVnDW
— 竜田一人 (@TatsutaKazuto) 2018年8月17日
元通りに成ることを祈るなら線量計ゼロはおかしいと思いますが。
— バアル提督 喪中 (@arukad) 2018年8月16日
なんでそこまで現実に忠実に作らなきゃ行けないんだよ…
— エウレカ待ち (@EUREKASEVENpete) 2018年8月16日
作者が0にした理由読んだんかいな
あれは線量計ではない。放射線がセンシティブな身体部位(目、生殖器)にあたると、その回数をカウントするもの。それが「ゼロ」なんだから、福島がまったく放射線ゼロになっていることを象徴するもの。だからその限り、福島の安全を主張するものではあるが、そもそも放射線ゼロがありえないことであり、そこからしておかしいということ。
また、そのためにあれは両乳首・股間に無茶なギミックじみた造形をつけているわけだ。そんなわけで、乳首と(突き出ていることから)男性器をむやみに強調した像でもあるので―顔が子供を意図しているぶん、さらに奇矯なものになっている。
某「サンチャイルドに批判的な人は口を揃えて『福島の人が傷つく』って言ってるんだけど」。違う。批判者が強く言ってるのは「これまで散々福島を苦しめてきた風評被害を助長させる」だ。「傷つく」という気持ちの問題にすり替え「人それぞれ」の次元に落とし込もうとする欺瞞。原爆ドームと全く違う。
— the_spoiler (@don_jardine) 2018年8月17日
わたしとしては、デザイン・型枠のあからさまな使いまわしを批判したい。
いやまあ、それはそれで機械化・大量生産時代を象徴するものということもあるかもしれないが、数十年前から使い古した、しかも自分の父親のお人形を原型にしつつつくったデザインを、なんで福島の復興の象徴に使おうとするのか。そこにはヤノベシンジの欲望が潜む。自分と、自分の父についての我が記憶を増殖し世界に広まれ、と言う。
個人の生殖欲がでろ漏れている「サン・チャイルド」。聞こえのよさそうな単語をならべていつつも、反省の弁をどうならべようとも、己の言葉で既に欲望を表明しており、「サン・チャイルド」の私的な製作意図は明らかだ。それを福島の復興の象徴としようとは、なんと傲慢なことか。しかも使いまわしの使い古しモチーフで。
関連:「福島・風評拡大の「オレ設定放射能安全保障スーツモニュメント」メモ(2018-08-12)」
非常に示唆するところある言葉である:
大ヒット作品が「つまらない」と感じる以上に、何らかの「不快さ」を感じた場合、それは作品内での「多くの人がスルーしていること」に自分がひっかかっているということだから、他人がスルーできて自分がスルーできないことは何か、を考えるべき、と自分に言い聞かせている。そこから浮かぶ瀬もある。
— 新田五郎と吹き抜ける風 (@nittag) 2018年8月17日
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