Yahoo! ニュース 竹島について大前研一氏「実効支配認めた上で漁業権もらえ」 NEWS ポストセブン 4月29日(水)16時6分配信
「ウクライナ問題を見てわかるように、領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ。現実的に、日本が取れる選択肢ではない」
世界の冷たい現状の認識として
「ウクライナ問題を見てわかるように、領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ」
というのは、まあその通りであろうと思われるが、これと次の文
「現実的に、日本が取れる選択肢ではない」
との間には、いささか「間」があるかと思われる。
大前氏は、「実行支配している」「実効支配されている」という現実を前提に「竹島を放棄せよ」と言う。なにしろ
「1952年に李承晩ライン(※注)が設定された際、あるいは1965年に同ラインが廃止された際に、武力を使ってでも取り返さなかった日本の負けだ」
過去にそうだったから、「日本の負け」が確定したわけだ、とするわけである。
だが一方で、ロシア(推定)がむりくりウクライナから土地を分捕りかけている、それは力が前提となっている、と説く。
ならば「日本の負け」は確定してはいないだろう、(推定)ロシアを参照すれば。まさしくこれから力を行使してもかまわないわけである、何しろ、ロシア・ウクライナ間の問題とは違って、延々数十年も”そこはうちの領土ですよー”といい続けてきたわけで、その点、あちらさんよりよほど正統性がある。
では、なぜ韓国に、ロシア(推定)に土地の強奪ができて、日本にはそれが許されないかといえば、それは我らが誇るべき憲法前文と第九条との存在によるだろう。国際的な信頼関係やお話し合いの上に我らの安全保障をゆだねたいなあ、という麗しく輝かしく誇り高い夢だ。
「現代世界史を鑑みて、話し合いや調停で国境線が引き直されることはない」
とは、そりゃあ現実には概ねそうだろうが(いや引きなおしてもさんざん双方で異論をたてまくる)、それでもなお話し合いや調停でナントカしよう、というメッセージを送り続けるのがわれら誇り高き日本国としてとるべき道ではあるまいか。
「やられちゃったし、もうお話し合いとかめんどくさいから、やーんぴ」ってメッセージは、現に抑圧されている人々に「あー、僕ら日本はよそに手出しできない契約だから手出しできず、で、負けました。君たちの場合は力が足りなかったかー。それは残念だったねえ。ま、力で負けたら、どーしよーもないから、諦めなよー?」というメッセージになりかねない。
してみると、抑圧されている諸民族のためにも、我々は正義と人道とを武器に対話せねばならぬのではあるまいか。
「竹島が領土であるかどうかで違うのは、周辺の漁業資源だけだろう。もし島根県の漁師が竹島で操業したいというのなら、実効支配を認めた上で漁業権をもらったほうが得策ではないか」
については、先方さんがいつでも好きなときに却下できるという、そういうフリーハンドをぜひとも認めてあげたいというならそれでかまわんが。
いや、漁業権が未来永劫確保できるという特別契約つきで、って無茶が通るかもしんないなーと思えるという、それこそが、国際的友誼・信頼関係がすでに存在しているという信頼・信仰に基づいているわけであろう。”お話合いで決めたことだから、守ってくれるよねっ☆”なんていう。
…そう考えると、
「現代世界史を鑑みて、話し合いや調停で国境線が引き直されることはない」
「領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ」
という冷徹な現実の認識と、
「実効支配を認めた上で漁業権をもらったほうが得策ではないか」
というお花畑式発想との間の奇妙な落差に、なにやら不思議な思いを抱くのである。
なんでこうなるんだろうね?
「ウクライナ問題を見てわかるように、領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ。現実的に、日本が取れる選択肢ではない」
世界の冷たい現状の認識として
「ウクライナ問題を見てわかるように、領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ」
というのは、まあその通りであろうと思われるが、これと次の文
「現実的に、日本が取れる選択肢ではない」
との間には、いささか「間」があるかと思われる。
大前氏は、「実行支配している」「実効支配されている」という現実を前提に「竹島を放棄せよ」と言う。なにしろ
「1952年に李承晩ライン(※注)が設定された際、あるいは1965年に同ラインが廃止された際に、武力を使ってでも取り返さなかった日本の負けだ」
過去にそうだったから、「日本の負け」が確定したわけだ、とするわけである。
だが一方で、ロシア(推定)がむりくりウクライナから土地を分捕りかけている、それは力が前提となっている、と説く。
ならば「日本の負け」は確定してはいないだろう、(推定)ロシアを参照すれば。まさしくこれから力を行使してもかまわないわけである、何しろ、ロシア・ウクライナ間の問題とは違って、延々数十年も”そこはうちの領土ですよー”といい続けてきたわけで、その点、あちらさんよりよほど正統性がある。
では、なぜ韓国に、ロシア(推定)に土地の強奪ができて、日本にはそれが許されないかといえば、それは我らが誇るべき憲法前文と第九条との存在によるだろう。国際的な信頼関係やお話し合いの上に我らの安全保障をゆだねたいなあ、という麗しく輝かしく誇り高い夢だ。
「現代世界史を鑑みて、話し合いや調停で国境線が引き直されることはない」
とは、そりゃあ現実には概ねそうだろうが(いや引きなおしてもさんざん双方で異論をたてまくる)、それでもなお話し合いや調停でナントカしよう、というメッセージを送り続けるのがわれら誇り高き日本国としてとるべき道ではあるまいか。
「やられちゃったし、もうお話し合いとかめんどくさいから、やーんぴ」ってメッセージは、現に抑圧されている人々に「あー、僕ら日本はよそに手出しできない契約だから手出しできず、で、負けました。君たちの場合は力が足りなかったかー。それは残念だったねえ。ま、力で負けたら、どーしよーもないから、諦めなよー?」というメッセージになりかねない。
してみると、抑圧されている諸民族のためにも、我々は正義と人道とを武器に対話せねばならぬのではあるまいか。
「竹島が領土であるかどうかで違うのは、周辺の漁業資源だけだろう。もし島根県の漁師が竹島で操業したいというのなら、実効支配を認めた上で漁業権をもらったほうが得策ではないか」
については、先方さんがいつでも好きなときに却下できるという、そういうフリーハンドをぜひとも認めてあげたいというならそれでかまわんが。
いや、漁業権が未来永劫確保できるという特別契約つきで、って無茶が通るかもしんないなーと思えるという、それこそが、国際的友誼・信頼関係がすでに存在しているという信頼・信仰に基づいているわけであろう。”お話合いで決めたことだから、守ってくれるよねっ☆”なんていう。
…そう考えると、
「現代世界史を鑑みて、話し合いや調停で国境線が引き直されることはない」
「領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ」
という冷徹な現実の認識と、
「実効支配を認めた上で漁業権をもらったほうが得策ではないか」
というお花畑式発想との間の奇妙な落差に、なにやら不思議な思いを抱くのである。
なんでこうなるんだろうね?
なんかの嫌味かなにかをしゃべって
それを切り張りしたらこーなった、という可能性もあるのか
なら切り張りした人はわりと有能
ちゃんと一見読める文章にしたててる