明日は出撃という前の晩、若い搭乗員が部屋の隅で、机に向かって何かを書いている。
— 神立尚紀 (@koudachinaoki) 2018年8月16日
「何をしてる?」
と声をかけたら、三角函数を懸命に解いているのだ。
「何故だ?」
と聞くと、
「死ぬまで勉強したいんです」
そのあどけない顔が忘れられない。
生の証を何に求めるか。この彼の場合をどう描写するか、記述するかは微妙な線だが、強いられた死を前に精神の自由を己の選んだ・己の喜びとする対象に没入することで実現するというか、その理解を通して永遠の真理に近づくことに喜びを見出すと書くか―哲学か宗教学かいずれかによればそう表現できそうだが、そのいずれでもあるのだろうなあとか。
彼女が街の学校に通い出した時、周りは「農家の娘が英語を学んで何になる。牛や馬とは英語で話せないだろ」と笑ったらしい。しかし、彼女のお父さんは「身につけた教養を奪うことは誰もできない。それは彼女の一生の財産で、使う機会があろうがなかろうが素晴らしいものとなる」と、耳をかさなかった。
— たこ@ドイツ (@takochan_de) 2018年8月13日
その後、亡命せざるを得なくなって、その知識が現に生き残るために役立ったという流れに続く。
しかしならば、生存という目的を達するためなら、それは英語でなくてもいいわけであり―有力者に身を売ってついでに妾におさまるとか―、ここの話の肝は「使う機会があろうがなかろうが素晴らしいものとなる」にあり、それは上の死を強要される戦場であくまで勉強しようとした若者に通じるのだ。
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