本来の語義についての意識を失い、半ば自由に別の語義・含意をもって転用される、ありがちな言語上の一例:「素の差別発言(を意図してないと主張するが、そのように受け取られ得るもの)であった」。「統合失調」を「支離滅裂」の同義語として用いる例である。
こうした誤用・混用が、さていったいいつから始まるのか。実証的には証明しかねるだろうが、まあ膨大なデータから発生時期を推定する・普通の用法になった時期を推定することはできるだろう。
この際、「質の良い資料」 の み に頼るのは、単純化が過ぎるかもしれない。先の「「筆舌に尽くしがたい」」を思い起こそう。そこで挙げた参照例は、まあふつう、論文に引用しないよなあというものたちである。しかしこの混沌としたなかに我々の言語使用の現実の一端が覗けているのではあって。
…しかし、常識的に考えて、この某先生の発言を哲学的に批判するほうが楽だし、そういう文章のほうが売れそうだ。してみると、極めて地味な用例検証は、あまり手を出すひともいないだろうなあとか思う。
…こういう肌感覚まで落ちるあたりに、障碍者差別やなんかが”自然に”行われる素地や現実が見えそうにも思うのだが。
メモ:角岡賢一「仏教語彙意味変化の新聞記事データベースによる追跡」『龍谷紀要』29-2, pp.169-189(2008年)
こうした誤用・混用が、さていったいいつから始まるのか。実証的には証明しかねるだろうが、まあ膨大なデータから発生時期を推定する・普通の用法になった時期を推定することはできるだろう。
この際、「質の良い資料」 の み に頼るのは、単純化が過ぎるかもしれない。先の「「筆舌に尽くしがたい」」を思い起こそう。そこで挙げた参照例は、まあふつう、論文に引用しないよなあというものたちである。しかしこの混沌としたなかに我々の言語使用の現実の一端が覗けているのではあって。
…しかし、常識的に考えて、この某先生の発言を哲学的に批判するほうが楽だし、そういう文章のほうが売れそうだ。してみると、極めて地味な用例検証は、あまり手を出すひともいないだろうなあとか思う。
…こういう肌感覚まで落ちるあたりに、障碍者差別やなんかが”自然に”行われる素地や現実が見えそうにも思うのだが。
メモ:角岡賢一「仏教語彙意味変化の新聞記事データベースによる追跡」『龍谷紀要』29-2, pp.169-189(2008年)
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