もう寝ようと思ったのだが
この件、先日うちの大ボス様に、お供をおおせつかった際に話の種としてふられたのでメモ。
「就職前の蓄積が少ないと」というのは真実の一面。しかし、純粋に就職前の蓄積に の み 依存するとしたら、就職後の学問の進展に追いつけなくなり、どっちみち詰む。それが40歳頃、という経験則はありえるように思われる。
大ボス様の提示した論点のひとつは、出身研究室との縁が切れるころ―というのだった。つまり、独立にやっていく能力のないひとは、先生が退職すると、あとが続かない。博士というのは本来、独立研究能力がある「免許状」であるはずが、まあマスプロ教育的に出すようになって、意味合いが変質したんだねえというわけ。
そういう話の接ぎ穂に、「いや、40はるか手前で死んでるひと、いますよね、うちには」とかわいそうなことを言うのが私だ。
お供を務めたときのイヤ気な話のオチはさておき、じゃあどうやって40歳の限界を超えるかってのは、もうある意味単純な話で、1) 才能、2) 努力、3) 運の三要素といったところでどうだろう。4) そもそもの(ドクターファーターの)教育の成果、も勘案すべきだろうけど。
正直、私はさほど才能がないので、努力と教育の成果に頼るところが大。努力の点でそこらのひとを圧倒しているのはまず、確か。そして運もよい―。
…イヤ気な話は、書くのをやめておく…。
「研究者40代危機説」というのが紹介されてます。「何も仕事が忙しくなるとかそういうことだけではこざいません。だいたい40代で論文が書けなくなるという人が多いんです。書けなくなるとどうなるかというと、自然にアル中になるわけです。アル中になるとまた書けなくなる、という悪循環」
— かし (@hi_kashi) 2018年1月26日
この件、先日うちの大ボス様に、お供をおおせつかった際に話の種としてふられたのでメモ。
これは博士課程在学中に就職できたような時代のことじゃないかなあ。就職前の蓄積が少ないと、ネタが切れる人も居る。https://t.co/v3sFUyyeUS
— ITO Toshikazu (@toshiitoh) 2018年1月27日
「就職前の蓄積が少ないと」というのは真実の一面。しかし、純粋に就職前の蓄積に の み 依存するとしたら、就職後の学問の進展に追いつけなくなり、どっちみち詰む。それが40歳頃、という経験則はありえるように思われる。
大ボス様の提示した論点のひとつは、出身研究室との縁が切れるころ―というのだった。つまり、独立にやっていく能力のないひとは、先生が退職すると、あとが続かない。博士というのは本来、独立研究能力がある「免許状」であるはずが、まあマスプロ教育的に出すようになって、意味合いが変質したんだねえというわけ。
そういう話の接ぎ穂に、「いや、40はるか手前で死んでるひと、いますよね、うちには」とかわいそうなことを言うのが私だ。
お供を務めたときのイヤ気な話のオチはさておき、じゃあどうやって40歳の限界を超えるかってのは、もうある意味単純な話で、1) 才能、2) 努力、3) 運の三要素といったところでどうだろう。4) そもそもの(ドクターファーターの)教育の成果、も勘案すべきだろうけど。
正直、私はさほど才能がないので、努力と教育の成果に頼るところが大。努力の点でそこらのひとを圧倒しているのはまず、確か。そして運もよい―。
…イヤ気な話は、書くのをやめておく…。
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