空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ペシャワール会のワーカがアフガンで殺害された件について

2008-08-29 18:58:41 | Weblog
 珍しく国内情報のメモをしてみたり。

 ペシャワール会HP
 そこにある中村氏の言葉のうち,「「テロ特措法」はアフガン農民の視点で考えてほしい」を見てみた。

 ペシャワールの名を冠しながらなぜかアフガンで活動してたり,本来医療団体のはずがいつの間にか農業支援活動してたりというのは,まぁ措こう。実際自立支援は不可欠だろうし,彼らがその一翼を担い,一定の実効を得たのはまず認めるべき事実だろう。
 地元にあって,アフガン地元に即した援助をと訴え,武力過剰(と彼なら評価するだろう)日本政府の対アフガン対処法を非難する,まぁ適宜抑制の利いた新聞記事であると思われる。日本の対テロ法案について「他人事ではない。特措法延長で米国同盟軍と見なされれば反日感情に火がつき、アフガンで活動をする私たちの安全が脅かされるのは必至である」(以下青字は引用)というのも,皮膚感覚的にでる発言と理解できる。

 勿論,メディアの違い,記者の介在,編集部の存在―から,正確に彼の言葉を伝えているか(文字通りの意味で,または文脈的な意味で)は確実ではないにせよ,以下のようなものもあったりで,どうにも難である。

JanJan ペシャワール会中村医師「丸腰だから現地の人に伝わるものがある」2008年8月6日

憲法9条とアフガンと土木工事の関係は? ということを24年間現地でやって、見てきたことを紹介します」って風が吹くと桶屋が儲かるよりは関係あるかも。
 …とにかくアメリカ(及び現代日本)が嫌いらしいことは端々から漏れまくって,他方「ケシ畑が復活し、世界中の非合法の麻薬の93%をアフガンで作るようになりました」ってタリバン治下の地域でケシ栽培してるのは無視ですか的な。

ニューヨークで亡くなった2千数百名には世界中から悼みの声があがったにもかかわらず、アフガンの犠牲者数万人には悼みの声がない。あまりに想像力に欠けていると思います」と彼は言う(言ったとされる)。しかし,とはいえ,毎週の定期イベントのように反欧米な自爆テロで民間人が死にまくっているが,これに対する悼みの声もまた少ないのかもしれない。

 米主導の行動で「女性の売春の自由」等がまかり通るようになってしまったと非難するわけだろうけど,同様に女性がバイクに乗る自由や女の子が勉強する自由も認められたわけで。それに応じてタリバンもバイクに乗った女性を売春婦と認定して殺害する自由や女子校に迫撃砲叩き込んでもののついでに勉強なんかする不届きな小娘を殺す自由を謳歌するわけで。

 尤も,彼は現地活動家であるわけで,現地で有力な勢力の悪口をいえないという事情は大いに酌むべきではあります(思いっきり本音で言ってるだけのよーであるが)。

ペシャワール会は丸腰で現地のために本気でやっています。(被害を受けないのは)何か伝わるものがあるのです。銃剣に守られた復興支援はありえないのです

 ある意味,正論ではあります。昨晩のメモを転用しつつ言えば,「安全保障を相手先住民・民兵等々の善意と好意によってなし」てきた彼らの,偉大なる勝利の歴史だったわけだ,つい数日前までは,「これまでこうした事件に遭わなかったということ自体がこの手法の優秀性を示すとも主張可能」であった。しかし,「偶発的にであれいつでも起こりうる悲劇」でもって,彼らの理想は深刻な打撃を受けた。

 例えば『今回の下手人らは真のタリバンではない』と言うとしよう。その場合,その『非タリバンな犯罪者』からの悪意,害意にどう対処するのか。彼らを国外の悪しき勢力(の影響下にある人物)と描写するのも,或いは可能かもしれない。
 いずれにしても,彼ら自身の善意と友愛と好意の共同体を護るため,その外部を創出せざるを得ない。彼らが援助し,共に生きていこうとした,その草の根レベルに実際に関わる人間関係の中で。―これまでのように,反米・反政府を唱えていればいいというわけにはいかない。
 いやそれでもなおその筋で押していくのかもしれないが(シバレイ氏「気になる伊藤さんの死の真相とペシャワール会の今後」「やはり疑っていた通りか! 伊藤さんを救うことはできたハズなのに・・・」)。

 …26日朝,現地警察が捜索を開始。ほどなく誘拐犯らを発見,銃撃戦に発展。この際,犯人グループは人質の脚部を撃って逃げられないようにしてから本格応戦。銃撃戦は27日明け方まで断続的に続いたなどとされる(ExciteNews <アフガン拉致>男性遺体は伊藤さん 外務省が確認)。最終的には頭部を岩で殴りつけて殺害。
 だから,犯人グループには,『アフガニスタンに恩恵を施してくれている恩人』を殺さないでおく選択肢があったわけだろう。逃げられなくした,なら,放置して自分たちだけ逃亡,警察を人質保護組・追跡組に分断するという手があった。

 それでもなお,敢えて,殺してしまった。

 なんたる悲劇,短絡,理不尽か。

 少々引用しよう,「もはやペシャワール会ほどに地元の中に入り込もうとする支援団体ですら、タリバンの標的となることからは逃れられないのだ。…(中略)…そもそも誘拐されなければ命の危険もない道理だが、タリバンはもはや“通り魔”のように向こうから、突然、誰かを誘拐しにやってくるのだ。これを防ぐのは不可能に近い。そのことに、少々の絶望を感じるのである」(引用元:plummet氏「080826アフガン邦人拉致事件)。私としてはこれにほぼ同意するところであり,また同様に,亡くなられた方の,せめて冥福を祈るものである。
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2 コメント

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地元住民など1000人以上が (teiresias)
2008-08-29 23:21:54
なんでも追跡側は,警察に地元住民が加勢して1000人以上の規模だったとか

http://mainichi.jp/select/world/news/20080829dde041040049000c.html

ああそりゃ無理だ逃走できないや
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Unknown (teiresias)
2008-08-30 22:47:28
単に「誘拐する」だけでもいいんだな,援助団体関係者を引き揚げさせるには(普通なら)。要員に危害を加えられれば,(普通の)援助団体なら,少なくとも部分的引き揚げを検討するはず。

…やっぱり殺害なる結果にはどうにも言い逃れも弁護もできないだろう。

犯人がタリバンだろうが偽のタリバンだろうが,私の立場としては,どうでもよいのだ。
どれほど地元に溶け込もうが,何処かからか(場合によっては全く理不尽に)悪意・害意がふってくることがあるというのが,どうしようもなく,証明されてしまったのだから。
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