有力な音楽家が収容されて死んじゃったらしいよ!という情報をうけてのこと:
「Turkey has called on China to close its detention camps following the reported death of a renowned musician from the ethnic Uighur minority.」
中国側は、それは再教育・職業訓練センターだよと主張。
BBC Turkey demands China close camps after reports of musician's death 9 Feb 2019
「China says the facilities are re-education camps.」あああうん、名目とか作文とか独自の主張とかはどうでもいいんだ、主張だけなら、うちの国だって戦後最悪の独裁政権下にあるわけだし。実際それで生きるか死ぬかという話なんだ。
トルコ側外務省報道官曰く「"The reintroduction of concentration camps in the 21st century and the systematic assimilation policy of Chinese authorities against the Uighur Turks is a great embarrassment for humanity," Mr Aksoy said.」
まあねえ、テロリストの再教育は、そりゃまあねえ…ということはあるのだが。
「Heyit's detention reportedly stemmed from a song he performed titled Fathers. It takes its lyrics from a Uighur poem calling on younger generations to respect the sacrifices of those before them.」
有力な音楽家に、そうまでエモーショナルに民族主義的な歌を歌われても面倒だというのはわかるんだが。であればこそ、そう簡単に死なせては、政治的にダメージが割と大きい。楽器弾きの一人の誇りとその影響力というのは、古典を読んでいれば当然知っているものなのだが(※さらっと十八史略でもよめばでてくるんでないか)。
「赤の他人が味わう自由の制限なら問題なし」という態度で一貫しているのではなかろうか。
また,「お前が見るべき成果を出していないのは,圧迫・表現規制がないからなんですね」というイヤ気な突っ込みもありえる。そんなわけで,少なくともその者には,さらにまたそうした表現規制云々はまずは社会全体にかけられることであるから,したがって日本全体にわたって圧迫・規制が少ないことをも意味する。独裁者アベとやらがどれほど独裁してないかということを明らかにしてしまうのである。
反政府言説を垂れ流しているひとたちがぞろぞろいて、かつその人たちが微罪で逮捕されて懲役8年とか言われていつの間にか消去されていたりなんかしていない―されるはずはまあねえなあという確信が日々固められていくのは、もはやそれ自体、現政権に対する信頼そのものでさえある。これが、反政府活動家気取りのひとたちが言いがちな、普段の生活自体の政治化ってなものの一側面であり―ちょろっと学べばすぐ到達するレベルだと思うんだけどなあ、この程度の理解。
…さらには、「殺されなかった・死なされなかった人でこのレベルなんですよね?」という言い方さえある。耐えに耐え切る忍耐力があってこれであって、さくっと削除されちゃったひととかもけっこーいるよねー、と考えると…。
「Turkey has called on China to close its detention camps following the reported death of a renowned musician from the ethnic Uighur minority.」
中国側は、それは再教育・職業訓練センターだよと主張。
BBC Turkey demands China close camps after reports of musician's death 9 Feb 2019
「China says the facilities are re-education camps.」あああうん、名目とか作文とか独自の主張とかはどうでもいいんだ、主張だけなら、うちの国だって戦後最悪の独裁政権下にあるわけだし。実際それで生きるか死ぬかという話なんだ。
トルコ側外務省報道官曰く「"The reintroduction of concentration camps in the 21st century and the systematic assimilation policy of Chinese authorities against the Uighur Turks is a great embarrassment for humanity," Mr Aksoy said.」
まあねえ、テロリストの再教育は、そりゃまあねえ…ということはあるのだが。
「Heyit's detention reportedly stemmed from a song he performed titled Fathers. It takes its lyrics from a Uighur poem calling on younger generations to respect the sacrifices of those before them.」
有力な音楽家に、そうまでエモーショナルに民族主義的な歌を歌われても面倒だというのはわかるんだが。であればこそ、そう簡単に死なせては、政治的にダメージが割と大きい。楽器弾きの一人の誇りとその影響力というのは、古典を読んでいれば当然知っているものなのだが(※さらっと十八史略でもよめばでてくるんでないか)。
手塚治虫が焚書された事実は無いと、デマを散々吹聴した挙句、ソ連の思想・言論統制を賛美するに至ったフェミのアカウントがこちら。フェミニズムが全体主義賛美に至ったのは当然の帰結とはいえ、大笑いである。惑星ソラリスは1972年の旧ソ連映画。作者は表現の自由を求めてイタリアに亡命してる。 pic.twitter.com/iSD7sfQyaY
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年2月6日
因果が逆転している。普通に考えたら「規制がなかったらもっと良い作品になっていた」とか「より多くの良い作品が誕生していた」と言うところでは。
— N2 (@enu_2) 2019年2月5日
規制に膝を屈した無数の「惑星ソラリス」候補があった事をなぜ想像出来ないのか。
「シゴキと体罰があっても名選手は誕生した」と同レベルの発想では https://t.co/gIJnk5gWNO
ソ連の文化人、芸術家がどれほどの屈辱と無念に耐えてきたと思っているんだ。 https://t.co/LUEyV0zXsq
— 露傍の石 (@isiken78) 2019年2月6日
そのアンドレイ・タルコフスキー監督は表現の自由を求めてソ連から亡命したわけだが(そして帰ることなくパリで客死)。旧ソ連の表現規制を正当化するってマジでどうかしている。 https://t.co/fIVHIwsGAr
— Merc (@Mercivb) 2019年2月6日
「赤の他人が味わう自由の制限なら問題なし」という態度で一貫しているのではなかろうか。
また,「お前が見るべき成果を出していないのは,圧迫・表現規制がないからなんですね」というイヤ気な突っ込みもありえる。そんなわけで,少なくともその者には,さらにまたそうした表現規制云々はまずは社会全体にかけられることであるから,したがって日本全体にわたって圧迫・規制が少ないことをも意味する。独裁者アベとやらがどれほど独裁してないかということを明らかにしてしまうのである。
反政府言説を垂れ流しているひとたちがぞろぞろいて、かつその人たちが微罪で逮捕されて懲役8年とか言われていつの間にか消去されていたりなんかしていない―されるはずはまあねえなあという確信が日々固められていくのは、もはやそれ自体、現政権に対する信頼そのものでさえある。これが、反政府活動家気取りのひとたちが言いがちな、普段の生活自体の政治化ってなものの一側面であり―ちょろっと学べばすぐ到達するレベルだと思うんだけどなあ、この程度の理解。
…さらには、「殺されなかった・死なされなかった人でこのレベルなんですよね?」という言い方さえある。耐えに耐え切る忍耐力があってこれであって、さくっと削除されちゃったひととかもけっこーいるよねー、と考えると…。
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