終戦直後のソ連兵や米兵による日本女性の性被害が風化したのは、戦後日本社会が知ってて放置してたからということでしょうね。日本人女性についてさえそんな態度なら、他国の女性はなおさら無関心で忘却したわけで。慰安婦問題等が海外で噴出してから、新たに日本女性の被害も再発見したということ。 https://t.co/vaq35LoiV5
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年8月17日
日本政府はともかく日本社会は放置してないがな、どんだけ映画や小説のテーマになったと思うとるねん。朝鮮人慰安婦にしても同じ、映画にも復員兵の懐古談にも幾らでも出てくる。 https://t.co/YlD1nezCk0
— dada (@yuuraku) 2018年8月17日
放置というのは救済についての問題意識がなかったという意味で、認識自体は確かにあったのはわかってますよ。田村泰次郎とかなんとかいくらでも。そういえば70年代にずばり「従軍慰安婦」という映画がありましたね。私は見てないけど朝鮮人慰安婦も登場したとか。
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年8月17日
何を救済と呼ぶか、とか言う問題もありますが。
80年代くらいまで、なんとか語り継いだりなんだりしていて、90年代ころからかなあ、朝鮮人慰安婦問題が政治問題化し、回顧録等々での露出が少なくなったかなあという感がなきにしもあらず。で、朝鮮人慰安婦だけが救済されるべき日本の軍事行動による性的被害者―みたいな話題の極限化がなされたりした感もあり、「何言ってんだお前ら」みたいな気持ちはそりゃ起こるだろうさ。
その限りの意味で「慰安婦問題等が海外で噴出してから、新たに日本女性の被害も再発見したということ」は正しい、その限りでは。
しかし「放置というのは救済についての問題意識がなかったという意味」と定義すると「新たに日本女性の被害も再発見したということ」も救済対象として問題意識ができてこそいえることになる一方、記事はまずは『~という事実が明らかになった』ということで、起こったこと自体の「再発見」に意図があるかと思われ―なんというか、Hori氏のtweetの前後の文脈がうまくないようにもみえる。
なんでこんな昭和の時代には誰でも知っていたことを「じゃあなりずむ」様は発見してしまうのだろう? https://t.co/Vd93FQNA7L
— dada (@yuuraku) 2018年8月15日
自分もその「ジャーナリズム」さまのおかげで、この事実を知ったんじゃないのか? それとも「知り合い」から直接聞いたのかな?https://t.co/XTwBspFhCA
— Kazuo Uozumi (@forthman) 2018年8月17日
いや…普通にジャーナリズム関係なく巷説でいくらでも流布してたけど…
— (@ou9g8yxruhds) 2018年8月19日
もしかして今時の子って世間と全く接続していなくて、ジャーナリズムさまとインターネットデマの二択しか情報チャンネルがない…?
古い世代なら爺様婆様、伯父様方とか。若い子でも光人社とかなんとかな。
まあ、戦時性問題を、90年代以降の政治化したそこらのジャーナリズム&政治活動家経由くらいでしかしらん人々もあろうし。
それに実際、若い子たちと話すと、以前は慰安婦のこととか、ふつーに書いてあったけど?というと、割とびっくりするね。最近の右や左に関係ない歴史の話としてはなすと、わりと学生は聞き入るという気付きを書いておこう。
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