空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

戦時中の女性被害を語ることについてのメモ

2018-08-22 16:02:23 | ノート






 何を救済と呼ぶか、とか言う問題もありますが。
 80年代くらいまで、なんとか語り継いだりなんだりしていて、90年代ころからかなあ、朝鮮人慰安婦問題が政治問題化し、回顧録等々での露出が少なくなったかなあという感がなきにしもあらず。で、朝鮮人慰安婦だけが救済されるべき日本の軍事行動による性的被害者―みたいな話題の極限化がなされたりした感もあり、「何言ってんだお前ら」みたいな気持ちはそりゃ起こるだろうさ。
 その限りの意味で「慰安婦問題等が海外で噴出してから、新たに日本女性の被害も再発見したということ」は正しい、その限りでは。

 しかし「放置というのは救済についての問題意識がなかったという意味」と定義すると「新たに日本女性の被害も再発見したということ」も救済対象として問題意識ができてこそいえることになる一方、記事はまずは『~という事実が明らかになった』ということで、起こったこと自体の「再発見」に意図があるかと思われ―なんというか、Hori氏のtweetの前後の文脈がうまくないようにもみえる。







 古い世代なら爺様婆様、伯父様方とか。若い子でも光人社とかなんとかな。

 まあ、戦時性問題を、90年代以降の政治化したそこらのジャーナリズム&政治活動家経由くらいでしかしらん人々もあろうし。
 それに実際、若い子たちと話すと、以前は慰安婦のこととか、ふつーに書いてあったけど?というと、割とびっくりするね。最近の右や左に関係ない歴史の話としてはなすと、わりと学生は聞き入るという気付きを書いておこう。
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