お金のお話では,博士持ちって発想がお金持ちだと感じることは多い.授業料は上げるべきとか,留学は行くべき(頼めば親が出す前提)とか,十分な能力を身に付けるために留年すべきとか,バイト禁止で親に仕送りしてもらえとか.それを「普通」だとも言っているので,住む世界が違うと思う.
— M. Morise (忍者系研究者) (@m_morise) 2017年10月25日
あんまりそういう博士持ち見たことないのだけど、どこらへんにいるんだろうか。いそうだとは思うが。 https://t.co/R0GWNGOtIg
— kazy (@gakeau) 2017年10月25日
ところどころでその片鱗がぽろりと出たりする:
数万のものを買えというのが殺生なら大学教育は大量虐殺装置だよね。突然、数万の部分だけ見て聖人面されても。
— rionaoki (@rionaoki) 2017年10月24日
その数万円が最後の一押しになるのでは、という恐れである。
もう15年以上前から大学では教科書すら買えない学生がやまほどいて、図書館に教科書を大量収蔵する大学まで現れている。教員も教科書に安いものを選ぶなどもう20年くらい前からそういう工夫をしないと講義が成立しない。
— LN BB-45 (@BB45_Colorado) 2017年10月25日
学生は貧乏なだけで遊んでいる訳ではない。 https://t.co/UDDIb7IThe
私は、『一応仮にも大学院に通う金銭を、なんとか捻出できないこともない』階層出身であり(一ヶ月のバイトが計32件あったことがあり、いくら夏休みだってひどすぎる、と思った)、これ以下だとマジ無理、いろいろと(勿論、超優秀であれば別―私程度の優秀では届かないというだけ、とは、まあ、いえる)。研究室のひとたちや、同僚たちと比べて、はっきり出身階層が低いと肌感覚で感じる。
舛添要一のひそかな自慢というのは、学校教育はすべて国公立で修め、特に高校までは素直に“校区”の学校に行ったのであって、いわゆる「学歴貴族」として培養されてきた人間ではないということだった。実際、彼の出た高校は地域一番の学校ではなかった。はっきり言って、生家に金もなかったんだろう。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) 2016年5月3日
この「ひそかな自慢」はよくわかる。僕も及ばずながら、偏差値42位の高校に行ったものな。
―同僚たちは、どうも、「いい高校」に通ったらしいのである。
しかしまあ,大学教育サービス業界は価格が「安価でなければ払えない客がいる」ということを建前に,実態としては客は富裕層が多いにも関わらず「全員に対する価格を下げろ」(差額は補助金とかで何とかしろ)という主張がまかり通る業界である。
— umedam (@umedam) 2017年10月26日
…学校ごとにそれなりの対応が必要なのかもねえ、と、ちょっとメモを作成しようかと思いつつある今日この頃である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます