道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

旗幟不鮮明

2017年06月08日 | 随想

中年になった頃、我々の社会が旗幟不鮮明(主義主張を明らかにしないこと)で成り立っていることに気づいた。

若い時には、お互いにどのような考えをもっているか承知して付き合うのが当たり前だった。考えのわからない人間とは交際しなければよかったし、それで済んだ。

社会に出て数年もすると、人間関係が複雑になり、また格別に対人接遇にデリケートな民族的特性の相互作用もあって、旗幟を明らかにできないケースがどんどん増えた。主義主張を強調しない慣習に馴染んで、中年になる頃には習い性となってしまう。そうならなかった人も稀にはいるが、単に個人的な気質のせいとしか説明がつかない。圧倒的多数は同調圧力のもとで、精神的変形を余儀なくされてしまう。

十数年前の湾岸戦争の頃だった。日本の政治的な対応が、アメリカ政府から見ると甚だ不快に思われたらしく、当時の柳井駐米大使がアーミテージ国務副長官に呼びつけられ、「Show the flag!」と恫喝された。それで政府もマスコミも国民までも、ひどく慌てふためいた。何がいけなかったのかわからなかったからだ。大昔からの習性で対処していたのに・・・

本当はマスコミが一番驚いたはずである。日本のマスコミは2・3を除くと、ジャーナリズムの中立性の建前に隠れ、旗幟をハッキリ顕したくない体質。マスコミというものは、国民性と民度の象徴である。以来この件は、官民合わせ日本人全体のトラウマとなった。

ムラ社会のこの国では、上古から現代まで、旗幟鮮明であったのは源平時代と戦国時代、すなわち武家が戦に明け暮れた時代だけだった。敵味方の分別は戦闘の基本、武士たちは領地を守るために、叛服常ならなぬ処世の中で、旗幟を明らかにせざるを得なかった。旗や幟は武士達のものだが、農民には旗印は無用の物、庶民に意志などないと見なされていた時代のことである。戦に駆り出されない老人や女子供は、山に隠れるしかなかった。隠れ潜む者に旗は無用である。

庶民が旗を立てたのは、已むに已まれず権力者に反抗する一揆のときに限られていた。旗幟を鮮明にするとは、意志を明らかにすることである。この国の庶民は、命を賭けなければ、意志を表明することができなかった。それが今日まで、連綿と繋がっている。

村はもとより県・市町・会社・官公庁・内閣までが、旗幟不鮮明で通している。元をただせば、国会議員も官僚も庶民の出であるから、旗幟は明らかにしない。戦後の国際社会における外交交渉において、この国は事に当たる度に旗幟不鮮明という国内でしか通用しない流儀で押し通してきた。遂にコワモテのアーミテージから「 No!」と言われ、幕末に黒船が来たときのように愕き慌てふためいた。日本の精神的風土に対する、二度目の黒船襲来だった。

しかし「喉元過ぎれば熱さを忘れ」の喩えどおり、すぐ元に戻った。他国の人々の目には、優柔不断で真意を見せない、経済最優先の狡猾な国家と映っているようだ。民意が政治・外交に反映されるのは、国民国家として当然だが、その民意が外国から信頼されているかというと、洵に心許ない。

国際協調の局面で常に政府から出る決まり文句は「関係諸国の対応を見て」である。国民の意識の根の深いところから出ている自己保身の習性が言わせる言葉だ。欧米のように理非曲直を明らかにして、明確な態度で示すという剛毅果断な態度をとれない。それでは、他国に信用を築くことなどできないだろう。

旗幟不鮮明のエースといえば、真偽は定かでないが、関ヶ原の合戦における小早川秀秋ということになる。松尾山での遅疑逡巡ぶりが通説となっている。家康の軍に鉄砲を撃ち込まれるまで迷っていたと、ひとり汚名を被せられているが、責めは小早川家宿老の集団指導にあって、弱年の頭領秀秋の本質ではないだろう。集団の意思というものは、とかく明確さを欠き、曖昧なものにならざるを得ない。

毛利家の頭領毛利輝元が知謀家の石田三成によって西軍総大将に担がれてしまい、毛利家一統にとっての関ヶ原戦は、極めて難しい政治的判断を迫られた合戦だった。

輝元は大阪城から動かず、養子の秀元が主戦場から離れた高地、南宮山に陣を敷いたものの、実態は戦線離脱または家康への実質的内応だった。

つまり安国寺恵瓊という名軍師の居る毛利一族(毛利・吉川・小早川)全体としての消極的な参戦で、小早川秀秋もそれに従ったまでのことだった。

旗幟を明らかにせず状況を読み、大勢に付く賢い?生き方が、古くから日本人に染みついている。これは事大主義という民族の本性だから仕方がない。とは言え、この欧米主導のグローバル化時代に、仕方がないなどと言っていては、国際的な信用を失う。異質な精神構造と協調してゆかねばならないのだ。

Show the flag を忘れてはいけない。意識して旗幟鮮明であらねば、国際社会から支持されない三流国家になり下がる。個人においても、それは変わらない。

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