琵琶湖を鉄道で周回したことがある。主目的は鮒ずしの老舗製造元へ行くことにあったから、北陸線から湖西線に乗り換えると、先ずは近江高島駅で下車した。
ちょうどその日は、フランスのテレビ局が取材に来るとかで、件の鮒ずしの老舗は取り込み中と見えた。フランス人のクルーは、取材にあたって当然鮒ずしを口にしたことだろうが、日本人でも嫌う人が多いこの食品に、どのような反応を示したのだろう。乳酸発酵だから、存外気に入ったかもしれない。
外国のメディアが日本の食文化を取材するとき、鮒ずしとクサヤの干物が候補に挙がるのは理解できる。自分達の食文化との隔たりが大きいものほど、視聴者に紹介する意義もあり、好奇心を満足させもする。味覚よりも、食品保存技術への関心が取材の動機かもしれない。
それにしても、地球の両極ほどの隔たりがあるように思える日仏彼我の食文化。明治以来わが方の一方的な憧憬・羨望・傾倒の結果、今や彼の食文化については、誰もが相当の知識を蓄えるに至り、実際の食生活への普及は盛大なものがある。
対する彼の側では、生物的な食性の相違もあって、日本の食文化への関心は低く、少数の日本通を除いて一般の人々が知る和食は、寿司ぐらいのものだろう。彼の国のテレビ局が、寿司のルーツ鮒ずしを取材するのも、日本の食文化への関心がそのあたりに留まっている証左なのかもしれない。
高島から琵琶湖西岸を廻って近江八幡で再び下車し、お定まりの観光コースを歩いてみた。
よく時代劇のロケ現場に使われる八幡堀では、私の好きなテレビ時代劇「鬼平犯科帳」の撮影をしていた。季節は早春、まだ寒気は厳しかった。あちこち観て周ることにいささか飽きていたので、しばらくは撮影風景を見守ることにした。撮影の本番よりも、その合間の出演者やスタッフの様態に興味を唆られた。
映画やテレビの撮影現場というものは、俳優のランクによって、その扱いが極端に違う。そのことを知ったのは、中学生の頃に東映の京都太秦撮影所で、時代劇の撮影を見学した時だった。スタジオ内でディレクターズチェアに座っているのは、監督と主演者に限られていた。
「鬼平・・・・」のロケ撮影では、主役はその場に居なかったが、テレビドラマでよく顔を見る有名脇役の綿引勝彦(樫山文枝の夫)が、ひとり赫々と燃える半切りドラム缶の焚き火を前に、役柄そのままの貫禄を発揮して傲然と辺りを睥睨し、椅子に座り出番を待っていた。周りに人はひとりも居ない。彼がその場のトップスターであることは一目瞭然だった。彼よりも顔と名が売れていないその他の脇役数人は、火の気の無い川端のベンチに並んで座っていた。通行人などを演じる大部屋の仕出し役者連中は、寒風の中、単の着物で吹きさらしの橋の袂に立ったまま出番を待っていた。
ロケ隊は、出演者もスタッフも、其処が公共の車道や沿道で、撮影が多数の観光客の通行の障害になっていることに聊かの遠慮もなく、其処が映画会社のオープンセットであるかのように振舞っていた。映画・テレビ人に特有の思い上がりが顕れていて、好い気持はしなかった。道路占用の許可を得ているとはいえ、配管工事や道路補修工事の現場の人々の通行人対する対応とは、えらい違いである。連中の方では、観光に一役買っているという自負があるのかもしれない。町興しの上では、ロケ撮影は願ってもないイベントだろう。
俳優というものは、出番待ちのときも、役になりきっているもののようだ。ある時代の人間をそれらしく演じるには、その時代の社会感覚、生活感覚を身につけ、それを自然に演じなければならない。寒中の建設現場や漁労現場のように、皆で和気藹々と火を囲んでいては、本番で演ずる、厳しい身分制下の江戸の町人の雰囲気は出せないのだろうと理解した。
日本の映画の撮影現場が、旧態依然として江戸時代の封建的身分制がそのまま生きているように見えるのは、映画草創期の作品のほとんどが時代劇であったことに関係があるかもしれない。映画づくりの場の封建的雰囲気は、今日もそのままテレビのドラマづくりの場で踏襲されているのだろうか?
人間の社会というものは、不合理な慣習であっても、いったん成立してしまうと、それがインフォーマルであるだけに、改めたり廃したりすることは容易でない。日本の撮影現場の有様も、この先百年くらいは、変わらないかもしれない。
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