加計学園問題で時の人となった前川元文科省事務次官の座右の銘は「面従腹背」だったとか。退官して、その銘を廃却したときには、さぞさっぱりしたことだろう。
官庁職員のトップ、事務次官に成るまでには、その座右の銘を墨守して、官僚としての世過ぎ身過ぎでステッアップを図るしかなかったに違いない。
いかに入省の時から将来を嘱望されていた有能キャリアだからといって、人事は能力実績だけでは動かない。インフォーマルな上長の心証と、それにリンクした評価が昇進にモノをいうのは組織の常。服命厳守はもちろん、阿諛とまでいかなくても追従無しでは、どんな有能な人材でも昇進はおぼつかない。人が感情の動物である限り、理知より感情のほうがエネルギッシュで、どんなに理性的な人間でも合理性客観性は貫けない。
面従腹背を続けているうちに、人は誠実とか真心というものを徐々に失っていく。それは老化と違って目に見えず体感できないから怖ろしい。人事の生存競争でトップにたどり着いた人間とは、面従腹背の功者手練れ、ある意味で達人である。
温順無垢で利発聡明な少年達を待ち受けるものが、面従腹背の人生であるとしたら、一刻も早く伝来の事大主義を始めとする諸々の悪弊の要因を皆が自覚共有し、我々の社会から一つづつ剔抉しなければならない。
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