<歩いたログ(足跡)>
●歩いた日:2020年12月11日(金)
●歩いた所
・高関上郷(四ツ屋):野際、二ツ屋
・花館:唐関、中台、萩台、葛野、富士見町、上佐渡、東裏地、下中野、上中野、下大戸、中大戸、上大戸
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり8.3km)
(以上の地図:国土地理院)
「旧大曲市花館」についてはこれまでブログに2回掲載しておりますが、歩いた所はいずれも街中でした。3回目の今回は「花館」の街の北西部、田んぼが広がる中に集落が点在するところです。
ところで、10月の上旬に登った「鞍掛山」の記事で左足の痛みについて触れ、歩いているうちに痛みが和らいで、調子よく歩くことができた、と書きました。しかし、帰った翌日から痛みがひどくなり、歩くのもままならないような状態になりました。股関節の痛みとは別の神経痛のような感じです。整形外科へ行って、神経の痛みに効く薬を追加してもらい、それを1月以上飲み続けてようやく痛みが和らいできました。そこで、試みに散歩に出かけてみると、歩いているうちに次第に痛みがぶり返し、歩くのが辛くなってきます。
という訳で、今回は、「歩いた位置」、「歩いたログ」とは書いておりますが、実は自転車で巡ったものです。我が家から自転車で出かけ、ログ地図の「P」を仮のスタート地点として一巡して来ました。
それでは本文に入ります。
「大仙市高関上郷」の西端に、ログ地図に記されているように「野際」と「二ツ屋」の集落がある。両集落の中ほどの道端にまだ新しい集落会館(会館の名称は「二ツ屋会館」となっている)が建つ。
(「二ツ屋会館」)
ここをスタート地点にして道奥(北西)に向かう。道の左手が「野際」、右手が「二ツ屋」にようだ。
ここの大字である「高関上郷」は「旧大曲市四ツ屋」に属する。ちなみに、「地名へのいざない」によると、かつて(「江戸時代」)には「高関下郷村」があり、「明治」に入って村名を改めて「花館村」になったとある。
また、「二ツ屋」は「二軒屋」の意味で、開拓出小屋が起源か、とある。すると、この辺りでは一番古く拓かれたところになる。同系の地名として「一ツ屋」から「八ツ屋」まであり(「九ツ屋」は無いらしい)、「四ツ屋」もその一つである。
少し行くと三叉路がある。そこを過ぎたところで振り返る。
📷01:「二ツ屋」の一角
奥の道を来たところ。三叉路の脇に建つ右手の小さな建物は地蔵堂。ここは古くからの道筋に当たるのであろう。御堂もきちんと冬囲いされている。
また進む。道は大きくカーブし、道なりに西へ向かう。道沿いの家は「上大戸(花館)」に変わるので、この辺りが「四ツ屋」と「花館」の境になるようだ。
右側を大きな水路が流れる道を西に進み、道が水路から離れたところで行く手を望む。
📷02:北から「唐関」方面を望む
道奥左手の家並が「唐関」の集落。道右手の建物のあるところは「中大戸」のようだ。
この日は、どんよりと曇った天気で、雪の季節が間近いことを感じさせる。
ここで余談。道左手(東側)には一面に田んぼが広がるが、そのど真ん中に広い墓地がある(最後に航空写真でご覧いただく)。我が家の墓地もここにある。子供の頃、何でこんなところに墓があるのだろうと思い、父に訊いた記憶がある。すると父が答えるに、「花館」(の街中)にある寺は昔はここにあって、寺は移ったが墓地はそのまま残った、とのこと。
「花館」の寺といえば「長福寺」(ログ地図左下、「花館上町」のところにある「卍」)。改めて「花館の歴史」を見ると、「長福寺はもとは高関上郷村の二ツ屋にあったが、寛文元年(1663年、江戸時代初期)以降花館駅場が形成されるに及んで、延宝4年(1667年)に藩命によって現在に移建された」とある。移建されるまでの200年余りの間、この地にあったらしい。このことからも、「二ツ屋」がかなり古い時代に拓かれたことがわかる。
(その2に続く)
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