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*・・・追憶・・・*

2024-02-12 13:20:43 | 日記

2月12日(月)建国記念日の振替休日 晴れ時々曇り

* 哀しい追憶 *

階段を降りると 湾曲した道路に沿って

貧弱な鉄パイプのガードが続く

駅前のちょっとした広場・・・

 

広場の隅に 身をかがめながら 片足のない人…腕のない人…杖を突く人…

白い装束に兵隊帽を目深に被り その前に小さな箱を置いて アコーディオンを弾き 

道行く人を焦点の無い穴の様な瞳で見つめていた人々

 気味が悪いのと好奇心とが入り混じった不思議な気持ちがした

 

広場を海の方に下ると ドブの臭いがする路地が何本かあった

 

いつも入る路地は決まっていて

私は母の後ろを さも楽し気に スキップをしながら追いかける・・・

 

大きな重いガラス戸を開けると 耳をつんざく大音量

小さい私は すぐ 凸凹に剥がれたコンクリートの床に這いつくばり

銀色の球を探す・・・

 

台を見つめ必死な男たちは 下ではい回る私に驚くが

すぐに台に視線を移し また一人享楽の世界に没入する

 

私は・・・と言うと

凸凹の床に落ちているパチンコの玉を 一生懸命に探す

男たちの足元を這いずり回って

ひたすら銀色の球を探す・・・

 

一つ二つ見つけると 急いで立ち上がって

母のもとに駆け寄り 得意げに手を広げた

 

母に褒めてもらいたくて・・・

何度も何度も 床を這いずり回っていた

 

母は その銀の球を自分の手でなすぐって汚れを落とし

傍らの男に とびっきりの笑顔で渡す・・・

母の赤い唇が 今でも脳裏に浮かぶ

 

駅前の傷痍軍人

路地のドブの臭い

赤い唇

 

哀しい追憶…

 


能登半島地震から一か月・・・

2024-02-01 16:51:29 | 日記

2月1日(木)曇り時々雨

あの日から1ヶ月・・・ 

未だに被害状況もはっきりしない災害でした

言葉がありませんが

今の私には 祈ることしか出来ません

 

*検査結果が思わしくなく

抗がん剤治療をしばらく休んでいましたが

このほどやっと 以前のroutineで治療開始となりました

 

久々の治療後は 副作用がいつもよりきつく・・・

手足の痺れ

下痢、嘔気、嘔吐・・・

下痢がひどく紙パンツ使用しましたよ

粗相をしたら 後始末は自分でしなきゃなりませんからね

 

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三春町*追憶 1960年頃

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薄いベニヤ板のドア…

夕方からゆで卵をせっせと作る母

5人も座ればいっぱいになるような

狭いカウンター席

 

ゆで卵を作る鍋からの湯気

ざるに挙げながらカウンターに置く

 

ベニヤのドアが軋んでお客が一人

「いらっしゃいませ」愛想のよい母の声と作り笑顔

私を手で(奥へ行っといで!)と

奥の畳の間に追いやる

 

{あれ?その子は誰?}

「あー 姉の子なのよ!」 「ゆりちゃん!出ておいで!」

私を呼ぶ母…

 

おずおずと顔を覗かせると

「ゆりちゃん、お腹空いてるんだろう?」

「ゆで卵でも食べさせてもらう?」

 

{おー!ゆで卵やってくれ!1個でも2個でも!!}

 

お客にねだってゆで卵を・・・

 

わたしは 今もゆで卵は 大嫌いです!!

 

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次回は中央駅の追憶を・・・


食欲と体力

2024-01-21 11:17:00 | 日記

1月21日(日)曇り時々小雨

我が家の蠟梅も 盛りを過ぎ 

花の色がくすんできました 馥郁とした香りも薄らいでいます

透明感のある花と 甘い香りがとても癒されるので 大好きな花です

 

食べることも大好きな私・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お腹いっぱい・・・

 

 


能登半島地震・・・

2024-01-16 17:06:14 | 日記

1月16日(火)晴れたり曇ったり

1月1日の 能登半島地震から二週間以上が経ちましたが

まだまだ被災状況が明らかになりません・・・

日々のニュースも辛い事柄が多く

胸が詰まるようで 

言葉になりません・・・ 

 


成人の日 ***

2024-01-08 14:13:00 | 日記

1月日 () 祝日 成人

今日は 成人の日・・・ 娘も 鮮やかな 朱色と金糸の振袖で

体育館の式典会場に出かけていきました

朝から しっかりと帯を結び 髪を結いあげて

汗をかきかき 着付けをしました・・・

あれから 14年・・・ 娘のいない生活は 何年たっても辛いです

 

 

 

最後の家族写真・・・

幸せだった