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久しぶりの呟き

2024-10-11 09:47:05 | 日記

2024年10月11日(金) 晴れ

5月の連休以来の記事です

癌治療は 相変わらずのペースで 山あり谷ありですが

お陰様で 何とか生き永らえています

 

主人 息子 友人 ・・・関わって下さる人々…

多くの皆さまの暖かいお気持ちに助けられています

  あと どれくらい生きられるのでしょうか・・・

  生きる価値…意味…を見つけられるでしょうか・・・

 

早く やよいの元へ行って抱き締めてやりたい

    謝りたい 

一緒に 紺の 桜が咲く骨壺に入りたい・・・

 

皐が心配・・・

 

いつになっても 自分本位な嫌な私・・・ 

 

久しぶりなので まとまりのないつぶやきに・・・

 


5月に入りました

2024-05-17 09:08:35 | 日記

5月17日(金)晴れ 

騒がしかったゴールデンウイークが終わり

やっと日常が戻ってきた感じです

昨日 抗がん剤治療が終わり 今日は晴れですが

ちょっと身体がだるいので 日がなbedで過ごすかな・・・

 

5月5日(日)は 美術館に連れて行ってもらいました

 

5月13日(月)は 薔薇祭りに連れて行ってもらいました

 

体調が回復したら 楽しかったお出掛けの模様を

載せるつもりです・・・ 


春になりました

2024-03-31 16:01:44 | 日記

2024年3月31日(日)黄砂が飛んで曇り空

やっと気温が上がってきて 桜開花宣言も

各地で一斉に起こり始めました    

 

私は と言うと・・・

二月、三月は 体調の変動が大きくて 

中々思うように行動できませんでした 

 

あげくに 血液検査結果が理解に苦しむような変な値で・・・

結局、入院して ステント交換をしますか・・・ ってな感じになり

毎度おなじみの 県立中央病院に入院となりました 

 

入院は慣れているのですが

病院に入ると 血糖値管理が厳しくなるので

家にいた時の様に気ままに オヤツ摂取はできません   

しかも まだまだ面会制限も厳しく

退屈な日々が続きました 

 

色々検査をして頂いた結果

癌の転移は見られず 増殖もしていない様子・・・

残っている胆管の中に ドロドロしたものが溜まり

ステントの中にもドロドロが溜まり

2本のステントの位置も 少しズレていたようで

ステントの中に 一回り小さいステントをもう1本入れ

長さ調整をしたようです 

 

私の体の中には

大腿骨に人工骨頭が入り

胃と胆管/十二指腸の中にステントが入り・・・

ターミネーターのようですね 

 

3年前に すい臓がんステージⅢ と診断され

色々対処してきましたが 今回の検査入院は

結構しんどかったですね  

 

3年前に癌が分かって 初入院の時が一番しんどかったですが

入院してすぐに 黄疸が出て 食事が摂れなくなり

体重が20㎏も落ち 歩けなくなりましたからね   

 

あの頃を思うと まぁ…しんどかったけど

今回はチョッとましかな

 

吐き気がひどくて 宇宙人の様な

緑色のものを たくさん吐きましたし  

知らぬ間に 水様性の便がダーダー出てきて

おむつがいくつあっても足りませんでしたわ

 

そしてチョッと落ち着いてきた今日❣

久しぶりにブログを開きましたよ

 

やれやれ

 

また今週から 抗がん剤治療に

県立中央病院に通うことになります

勿論!大腿骨骨折のリハビリにも 週2で通います

 

どこまでやるのか・・・早くややの所に行ってもいいんだけど


*・・・追憶・・・*

2024-02-12 13:20:43 | 日記

2月12日(月)建国記念日の振替休日 晴れ時々曇り

* 哀しい追憶 *

階段を降りると 湾曲した道路に沿って

貧弱な鉄パイプのガードが続く

駅前のちょっとした広場・・・

 

広場の隅に 身をかがめながら 片足のない人…腕のない人…杖を突く人…

白い装束に兵隊帽を目深に被り その前に小さな箱を置いて アコーディオンを弾き 

道行く人を焦点の無い穴の様な瞳で見つめていた人々

 気味が悪いのと好奇心とが入り混じった不思議な気持ちがした

 

広場を海の方に下ると ドブの臭いがする路地が何本かあった

 

いつも入る路地は決まっていて

私は母の後ろを さも楽し気に スキップをしながら追いかける・・・

 

大きな重いガラス戸を開けると 耳をつんざく大音量

小さい私は すぐ 凸凹に剥がれたコンクリートの床に這いつくばり

銀色の球を探す・・・

 

台を見つめ必死な男たちは 下ではい回る私に驚くが

すぐに台に視線を移し また一人享楽の世界に没入する

 

私は・・・と言うと

凸凹の床に落ちているパチンコの玉を 一生懸命に探す

男たちの足元を這いずり回って

ひたすら銀色の球を探す・・・

 

一つ二つ見つけると 急いで立ち上がって

母のもとに駆け寄り 得意げに手を広げた

 

母に褒めてもらいたくて・・・

何度も何度も 床を這いずり回っていた

 

母は その銀の球を自分の手でなすぐって汚れを落とし

傍らの男に とびっきりの笑顔で渡す・・・

母の赤い唇が 今でも脳裏に浮かぶ

 

駅前の傷痍軍人

路地のドブの臭い

赤い唇

 

哀しい追憶…

 


能登半島地震から一か月・・・

2024-02-01 16:51:29 | 日記

2月1日(木)曇り時々雨

あの日から1ヶ月・・・ 

未だに被害状況もはっきりしない災害でした

言葉がありませんが

今の私には 祈ることしか出来ません

 

*検査結果が思わしくなく

抗がん剤治療をしばらく休んでいましたが

このほどやっと 以前のroutineで治療開始となりました

 

久々の治療後は 副作用がいつもよりきつく・・・

手足の痺れ

下痢、嘔気、嘔吐・・・

下痢がひどく紙パンツ使用しましたよ

粗相をしたら 後始末は自分でしなきゃなりませんからね

 

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三春町*追憶 1960年頃

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薄いベニヤ板のドア…

夕方からゆで卵をせっせと作る母

5人も座ればいっぱいになるような

狭いカウンター席

 

ゆで卵を作る鍋からの湯気

ざるに挙げながらカウンターに置く

 

ベニヤのドアが軋んでお客が一人

「いらっしゃいませ」愛想のよい母の声と作り笑顔

私を手で(奥へ行っといで!)と

奥の畳の間に追いやる

 

{あれ?その子は誰?}

「あー 姉の子なのよ!」 「ゆりちゃん!出ておいで!」

私を呼ぶ母…

 

おずおずと顔を覗かせると

「ゆりちゃん、お腹空いてるんだろう?」

「ゆで卵でも食べさせてもらう?」

 

{おー!ゆで卵やってくれ!1個でも2個でも!!}

 

お客にねだってゆで卵を・・・

 

わたしは 今もゆで卵は 大嫌いです!!

 

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次回は中央駅の追憶を・・・