それで、今回紹介するのは、咄堂居士の『戦争と信仰』(大東出版社・1938年)である。刊行時期からすれば、いわゆる日中戦争の遂行時期ではあるが、まだ太平洋戦争は起きていない。また、第二次世界大戦もまだ起きていないけれども、それが予感される時代ではあった。
そのことを思いながら、咄堂居士の言葉を見ていくと、戦争に向かい行く時代の仏教徒が自らをどう位置付けようとしていたのかが分かる。まず、仏教が人と人とが殺し合う戦争をどう見るか?という問題意識を掲げつつ、何れの人生も戦争よりも平和を幸福としているとし、宗教は人生を幸福にするよう説くのであるから、当然に平和を希求するという流れを前提にはしている。しかも、仏教の歴史には戦争が少ないとも言う。そこで、「此の仏教は戦争を是認するか否定するか」と問うた。
仏教は修羅を以て戦闘の巷とし、人間世界は其の上に位し、娑婆は是れ忍土、たゞ忍従を以て旨とし「忍の徳たる持戒苦行の及ばざる所なり」と説き、『中阿含経』には「争ひを以て争ひを止むるも、竟に止むることを得ず、たゞ忍能く争ひを止む」とあり、又、『雑宝蔵経』には「勝を得れば長き怨みを増し、負くれば即ち憂苦を増す、勝負を争はざるものは、其の楽しみ最も第一なり」とありまして、忍従を旨とする無抵抗主義を示して居りますが、これで平和を確保せらるゝなら「所謂干戈を動かさずして太平を致す」で、これほど結構なことはありませんが、それは最上の理想で、それに達する路程には干戈を止むることが出来ないのでありますから、
『大薩遮尼乾子経』には「国を護り、民を養治せんため、兵を挙げて闘ひせんに、福あつて罪なし」とあり、『王法正論経』には「国王あつて神策墜ちず、武略円満に、未だ降伏せざる者は降伏せしめ、已に降伏したるものは之れを摂護するを王の英勇具足といふ」とありまして、怨敵降伏を以て王の一事業とし、『金光明最勝王経』には「若し悪を見ても遮せずんば非決便ち増長すべし」とて、干戈の使用を肯定し、戦争を認容して居るのであります。
咄堂居士「戦争の是非」、前掲同著・72~74頁、段落は拙僧
この一節を見れば前半は戦争を否定し、後半は戦争を肯定していることが分かる。特に、『中阿含経』巻17「長寿王品長寿王本起経第一」に見える「若以諍止諍、至竟不見止。唯忍能止諍、是法可尊貴」(『大正蔵』巻1・532c)は、『法苑珠林』巻57に引用されるなどし、戦争否定の文脈として、仏教の中でも最も良く知られたものだと思う。更には『雑宝蔵経』巻2の一節は、同じく『法苑珠林』巻77に引用されており、こちらは勝負事全般の否定として知られている。
よって、ここだけを見れば、戦争否定に繋がることは明らかである。仏教の平和主義を説く人は、この辺の文脈のみを使って論じることになる。だが、時代として戦争を肯定し、国家を翼賛しなければならなかった時代には、ここだけで済まないのであった。よって、咄堂居士も『大薩遮尼乾子経』巻5「王論品第五之三」を引くなどして、国や民を護るため、悪を挫くための争いについて認められると主張したのであった。つまり、侵略戦争の肯定まではしていないのだが、この辺の文脈は容易に別様の解釈が充てられることで、何とでも言い得る。悪を挫くためだといえば、どこまでも侵略が可能となるためである。
それから、仏教徒としては、出家・在家ともに共通する戒律に「不殺生戒」があることが気になる。戦争でこれがどう位置付けられるのか?
こゝに一つ残つて居る問題は、戦争の不殺生戒との関係であります。仏教では、防非止悪とて、為すべからずとして禁ぜられた戒法の中、最も重きを四重禁戒とて、殺生、偸盗、邪婬、妄語を戒めて居りまして、其の中でも一番重いのを殺生として居りますが、既に干戈相交へて戦ふ以上、殺生をせぬわけには行きません、これを仏教では、どう説くのでせうか。
近世戒律の泰斗と云はるゝ葛城の慈雲律師は『十善法語』の中に殺生の罪深きを力説せられました後に、仮りに「若し世間にありて、国の政を執らんに、其の盗賊徘徊して悪人徒党を結ばん、其の時若し殺せば仏戒を軽んずるに似ん、若し宥せば政道立たず、人民の害とならん、此二途何れに従ふべきや」との問ひを設けまして、これはよく考へなくてはならぬことであります。経の中に「善心を以て悪人を殺すは悪心を以て蟻子を殺すよりも其の罪軽し」とあり、又「国家に害あるものを殺すは、其の罪なし」とあります。罪のないのみならず其れは功徳となるのであります。瑜伽菩薩地の戒品、正法念経等にあることであります。又、涅槃経に大衆が仏に向つて「何が故に此の如き金剛不壊の身を得たまひしか」を問ひました時に、仏は答へて「我れ過去世に国王たりし時、王法を護持し、道ある軍に立ちし故に此の身を得たり」とあります例を引いて、「姑息の仁、怯弱の心を以て一二人を宥して大乱に及ぶことはせぬことぢや、十善の理は、面白いことぢや」と云はれて居ります。
俗諺にも「小の虫を殺して大の虫を助くる」といふ語があり、仏教には「一殺多生」とて一人を殺して多数を助くる場合の殺生をも認容して居りますのは、丁度人を傷害するは、悪いには決つて居りますが、腫物が出来て、これを切開せねば毒が全身に拡がると見た場合には、之れを切ることを善しとするやうなもので、外部より入り来らんとする病毒を防ぎ、内部より発生した腫物を切開することの必要な如く、仁を発して義を主とする戦争を認め、其のための殺生をも却つて慈悲の行為と見て居るのであります。
咄堂居士「戦争と不殺生戒」、前掲同著・87~89頁
結局、ここでは慈雲尊者飲光(1718~1805)の説を受けつつ、仏教に於ける不殺生戒は主張しつつも、条件次第では殺生が認められるという立場であったことが分かる。この態度は、当時の仏教者に多く見られるもので、例えば大内青巒居士もそうであったし、釈宗演なども同様であった。他にも無数に存在している。以前、落語の世界でも、多くの噺家が「国策落語」を要請されていたことなどが林家正蔵・三平(初代)親子の事例を元に報じられていたが、仏教者も多く精神面などでの国威発揚を要請されていた。無論、「要請」とは書いたが、事実上の強制である。
さて、上記の一節を読み解いていきたいが、まず「四重禁戒」であるが、本来の「四波羅夷」であれば、「邪婬、偸盗、殺生、妄語」の順番である。咄堂居士が何に基づいてこれを示したのかは、「四波羅夷」を調べても分からなかったが、これは「四波羅夷」と同じ項目を、「十善戒」の順番に並べ直したものであろう。それから、『十善法語』の件だが、咄堂居士が編者となった『国民思想叢書―仏教篇』(国民思想叢書刊行会・1929年)に収録(379~553頁)されており、上記一節の文章も慈雲尊者による安永2年11月23日示衆の「不殺生戒」に於いて、ほぼ見ることが出来る(404~405頁)。
つまり、不殺生戒が重要だとしつつも、その限定する条件を示したのは、慈雲尊者の説が影響している可能性が高い。実際、近代の戒律復興運動では慈雲尊者の説から展開されたものと思われる。そして、咄堂居士が付け足したと思われるのは、「小の虫を殺して……」云々、或いは「一殺多生」である。この部分は、先に挙げた青巒居士も示すことであり、戦争時に於ける殺生の肯定に用いられている。よく、『瑜伽師地論』巻41に出るとはされるが、実際にこの四字熟語があるわけではない。また、近代では真宗大谷派(『開導新聞』で明治10年代に用いる)や、井上日召の「血盟団」(1930年頃、事件は1932年)が用いたことでも知られている。また、青巒居士も『軍国の仏教徒』(鴻盟社・1914年)にて既に「一殺多生」を論じている。これは、「血盟団」よりもかなり早い。青巒居士がどこからこの情報を得たのかは、別に調べる必要があるが、当時はかなり広まっていたであろうか。
しかし、上記の通り「一殺多生」が菩薩の振る舞いとして正しいとまでいわれれば、最早、殺生が問題だという考えには至らない。このように、本来は平和主義であったり、不殺生であったりする考えは、正反対の文脈が見出され、結果として本来の効力を失うのであった。ただ、何故仏教者がここまで考えを改めたかであるが、以下の一節を見ておきたい。
近時昭和維新の声と共に肇国日本精神の基調に於て、日本仏教の本質が反省されつつあると共に、今時支那事変による大陸長期建設、新東亜建設に面し、新東亜に適応する仏教が要請されてをる。一つは国民の心地に相応する新しき日本仏教であり、他は東亜新秩序に役立つべき仏教である。
「仏教」項、三木清編『現代哲学事典』日本評論社・1941年、470頁上段
当時の仏教の役割や位置付けについて知られる一節である。結局は、日本のアジア侵略に対応する教義を打ち立てるべきだという考えがあり、そうなると殺生などについて肯定せざるを得ないということになるのだろう。極めて残念なことではあるが、日清戦争以降、数度の戦争を経た日本の仏教者たちは、既に第二次大戦の頃には戦争に即した教義の説き方を集め終わっていたように思う。咄堂居士などは、先行する文脈を集めただけ、という印象すら得てしまうのである。
ユマニストの拙僧としては、決して抑圧されないような反戦の仕方がないものか?と思ってしまう。つまり、平和な時代に当たり前のように受け容れられるような反戦論には一片の価値も無い。むしろ、平和から戦争の時代に移った際に説かれる反戦論にこそ意味があるが、体制側から弾圧されるようなものであってはならない。弾圧されるような強い言動は無駄な論争などを招くだけだ。
今日は終戦の日であるし、同時に盂蘭盆会でもある。盂蘭盆会で既に亡くなった祖先に思いを馳せつつ、戦争の歴史についても学ぶ機会としていただきたい。
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