・「宇宙の日」とはどういう日ですか?(ファン!ファン!JAXA!)
よし、ということで、「宇宙」と仏教に因む記事を書いてみよう。
雲門衆に示して云く、乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。灯籠を拈じて仏殿裏に向かい、三門を将て灯籠上に来たる。
師云く、雲門、他家の旧物を将て人情を為すなり。灯籠・仏殿、相ひ唱和して云く、
不知不知、何を以てか、昨日は是、今日は非、吾れ閑暇無し、と。
「雲門秘在形山」則、指月慧印禅師『拈評三百則不能語』巻下、38丁裏
こちらは、道元禅師が編集された『真字正法眼蔵』を元に、江戸時代の学僧・指月慧印禅師(1689~1764)が本則として拈じ、評唱したものである。なお、道元禅師は『真字正法眼蔵』で集めた各本則は、『正法眼蔵』『永平広録』などで引用したりはされるが、本則だけを用いて拈評したりはしておられない。
ただし、指月禅師の著作が出てからは、更にそれを用いた註釈などが出来ている。ただ、今日は指月禅師の教えまでを検討しておきたい。
まず、今回の一則は「雲門秘在形山」と呼称されており、中国雲門宗の雲門文偃禅師(864~949)が示したもので、典拠は『宏智録』巻2である。ただし、この一則は何故か『雲門広録』には入っていない。そして、更なる原出典は僧肇『宝蔵論』「広照空有品第一」にある「夫天地之内、、宇宙之間、中有一宝、秘在形山、識物霊照、内外空然、寂寞難見、其号玄玄」である。
それで、雲門禅師の言葉を見ていくと、僧肇の教えと比べて、何が「秘在」しているのか?という主題を取り出していることが分かる。もちろん、これを仏性だの、仏法だの、仏道などと言い換えても良いのだろうが、それを自ら用いて、広く展開していく様子こそが大事なのである。
その上で、指月禅師の教えは、「雲門、他家の旧物を将て人情を為すなり」としているが、これは、僧肇の語句を用いて、雲門禅師が示衆されたことを指摘している。更に、「人情を為す」というのは、僧肇の語句はどこか、天地・宇宙の話をしているように思われるところ、雲門禅師は灯籠や仏殿といった我々が修行する現場にある物を用いている。
そして、その灯籠や仏殿が語ることは、「不知不知、何を以てか、昨日は是、今日は非、吾れ閑暇無し」であった。要するに、間暇無く説かれている仏法なので、知らないことは無いとしつつ、昨日は「是」の教えで、今日は「非」となるように、仏法とは自由自在に価値観が変容するものだとされる。
ということで、仏道では宇宙を説いていても、必ず「人情」に落とし込みつつ、その一体に続いた道理を示すため、宇宙とは自己自身のことだと納得すべきであろう。
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