◎問ふ、以上は覚えず枝葉に走りての問ひなりしが、今最も必要として問はむとする所のものは、盂蘭盆と云へるの字義なり〈中略〉委しく其意義を弁明せよ
○答ふ、盂蘭と云ふは梵語とて天竺の音なり、又は烏藍婆拏とも云ふ、烏藍と盂蘭とは只梵音の訛りなり、烏藍と云ふは倒懸と云ふ事に成り、婆孥とは盆と云ふ事に成る、故に烏藍婆孥を盂蘭盆と名けて、之を救倒懸と翻訳し来れり、その倒懸と云ふは喩にて、盆は法なり、元照師の註に魂ひ暗道に沈み、命ち倒懸に似たりと云へり、その暗道とは餓鬼道の事にて、倒懸とは飢渇の苦みなり〈中略〉
次に盆とは器なり、乃ち食物を盛るの浄器なり、一切の椀鉢も通じて盆と名く、盆の字が救の字に当れば、倒懸救と云ふも可ならむ、目連尊者が清浄の盆器に美味珍漿を盛りて清浄の大衆に供養せられたるが故に、盂蘭盆供とも云ひ、その斎を設けたるが故に盂蘭盆斎とも云ふ、
又此法を修する時は、十方の衆僧及び仏菩薩羅漢等の賢聖を奉請し、并に現在乃至七世の父母、三界の万霊無辺の幽魂、恒河沙数の餓鬼をも招集して、大斎会を営むの殊勝なる大法会なるが故に盂蘭盆会とも云ふ
『盆の由来』第十四問答・17~20頁を抄出
ということで、この記事は「盂蘭盆」という言葉の由来について尋ねたものとなっている。最近ではまた色々と研究が進んでいるようで、イラン辺りの言葉を語源とする可能性なども指摘されているが、それはさておき、明治時代には以上のように考えられていた、という標識のような記事にしておきたい。
それで、まず高田先生は「烏藍婆拏」という語句を示しておられ、しかも「倒懸」或いは「救倒懸」という意味を提示している。このことを考えると、典拠は中国宋代成立の『翻訳名義集』巻4を中心にしつつ、唐代成立の『一切経音義』なども参照されていると思われる。「倒懸」とは「逆さ吊り」のことで、餓鬼の飢渇の苦しみを比喩表現したとされている。「比喩」とした根拠について、高田先生は「元照師の註に」とあるので、おそらくは元照の『盂蘭盆経疏新記』を参照したのだとは思うが、この註記の部分は元照が註釈した宗密『盂蘭盆経疏』に出ているもので、「若しくは方の俗に随い応じて曰く、救倒懸盆と。斯に繇りて、尊者の親の魂、闇道に沈み、載するに飢にして且く渇し、命、倒懸するに似たり」とある。これが原典である。
中国ではこの「盂蘭盆=倒懸」説が一般的で、それに伴って諸註釈書も作られており、その影響は極めて大きい。
それから、「盆」が「器」であるというのも、その通りなのだろう。この辺は、元々の『盂蘭盆経』の本文からそう受け取るしかない。昨日の記事でも紹介したが、「百味の飲食を以て盂蘭盆中に安んじ」とあるからには、「盆」は「器」と解釈されることになろう。つまり、「盂蘭盆」を意訳した際に、「倒懸を救う器」だとしたいところなのだが、そうも行かない。
何故ならば、高田先生ご自身が「盆の字が救の字に当れば、倒懸救と云ふも可ならむ」ともされるのである。ただし、この辺はそれこそ、元照が異を唱えている。
相伝するに宋の三蔵云く、烏監婆拏盆佐那を倒懸救器と翻ずと、未だ典拠を見ず、敢えて信用せざれ。
『盂蘭盆経疏新記』
信用しないようにとしているが、元照よりも後の時代に作られた註釈書には、これを採用した事例が見られる。まぁ、本気で翻訳の語に取り組んで得た結論でも無いから、前の註釈から何となく選んでいるだけなのだろう。
また、教化という観点から言うと、やはり自分たちの行った供養が誰かに届いて欲しいと思うのが人情で、それに応えるのなら、「倒懸救」で良いと思うのだ。
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