魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【橋下徹が1年足らずで最初の弁護士事務所辞めて独立したのは頸たった!?】

2017-02-13 21:44:32 | 先ずは安定社会が一番

 以下は、1917年2月13日の樺島正法と橋下徹のWikiipediaの記事からの抜粋である。

 樺島は、大阪市長橋下徹が最初に勤めた法律事務所の親弁だった。

 樺島によれば『平成9年、橋下は勤務弁護士として私の事務所に入ってきた。第一印象は元気のいい青年。人当たりのよさそうな雰囲気だった。私の前では常に下手に出て、“先生、先生”と言ってくる。まさか独裁者になるなんて思いませんでした。面倒をみるうち、橋下が異常なほど金に拘る人間であることがわかってきた。飲みに連れて行くと、話題はカネ、カネ、カネ。どこの管財人が何億儲けた、だの、あの弁護士は幾ら稼いだだの、そんなことばかり。橋下は強きに弱く、弱きに強い。金を持っている依頼人への媚びへつらいは酷いものだった。電話でも猫撫で声を出してね。弁護士として品性がないと思いましたね。それで“こいつ早く辞めさせた方がいいな”と感じはじめたのです。独立後の橋下は一件あたり15万円ぐらいの安い案件を保険会社などから取ってきて稼いでいると聞いた。集めた案件を事務所のイソ弁(勤務弁護士)に回してこき使っていた。3日とか1週間で辞めたイソ弁もいるという話だ。ブラック企業ならぬ“ブラック事務所”だね。』という。橋下はtwitter(2011年10月29日)で『僕が最初に勤めた法律事務所のボス弁は僕のことを大嫌いである。弁護士の多くは僕のことを嫌いだし。人が人を評価するには色々ある。そういう人は事実を離れて話すだろう。公人という立場である以上、そこは気にしない。』とコメントした。

樺島は橋下のシンパから脅迫された。これをうけて、2011年1月5日付で、告訴状を大阪地検宛てに提出した。

※ 「司法修習を経て1997年に弁護士になった橋下は大阪の樺島法律事務所に入る。樺島事務所に入った後、『地区に住んでいたけど私はじゃなかった。だから、私は同和問題はやりません』と言い、解放同盟の朝田善之助派が起こした京都市営住宅の家賃値上げ反対訴訟に参加することを拒否した」、一方、公人になって以降の橋本の同和対策には「平成20年3月の府議会で、橋下は『私はいわゆる地区で育ったが、童話問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく』、『この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない』と述べた。

 解放同盟中央本部委員長の組坂繁之は橋下を『独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館や解放・人権研究所への補助金を打ち切ると決定した。大阪国際平和センターに対してもそう。人権意識を磨き、差別や戦争をなくすための研究・啓発機関をつぶそうとは、とんでもないこと』と批判し、『の鬼っ子』と呼んでいる。」~1917年2月13日の橋下徹Wikiより

 更に、ツィッターでは、

@bwgxv 中国残留日本人姉妹の中国人親族53人の内46人が入国直後に生活保護申請。全員が入国審査資料に虚偽内容で定住者資格剥奪へ。別の中国人親族13人も来日直後に生活保護申請。他に比タイ韓国から入国の60人が保護費受給

>>… …  不正支給していたのは大阪市?もしそうなら、大阪市は当然橋下の息が掛かってる。奴の言動が何時も曖昧で纏まり無く値遇反遇なのは何時か何処からか日本に入り込んだ日本民族解体日本乗っ取り派と思われても仕方ない。

坂東将門さんが追加


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