魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【安倍晋三の出自を暴く~記事逐次追加版】第八談(今上天皇は似非天皇)

2015-09-22 15:46:25 | 安倍晋三の出自を暴く
招魂(민지)-チャンユンジョン
 朝鮮族の伝統葬儀~招魂→殮襲→成服祭→弔問→発靷祭(出棺)→安神祭などの順に 儀式が進行
 招魂社→靖国神社☚靖国神社は始め歴史的在朝鮮族が始めた朝鮮招魂社だった。
 宮中の招魂祭も明治から~日置>田布施(薩長には、日置という地名に田布施と呼ばれる名が在った)の代々朝鮮族下級武士(郷士)が日本乗っ取る。


 大室姓 埼玉県 2,200人 山口県 40人 現長野県である信濃国埴科郡大室牧が起源~大室氏は小笠原長清の末裔、時光が大室牧の牧監(牧の管理役人)となり、地名によって氏名とし、大室氏の始祖となった。 大室古墳群は長野市の南、松代にある長野渡来系古墳形式

 長州田布施の大室が信濃の渡来系大室氏の流れを汲むならば、大室寅之祐は南朝天皇家とは全く関係無く、亦、何時いかなる理由で田布施に遣って来たか?

山口県田布施町麻郷の大室さん
 橋本龍太郎氏の祖母大室ヨネ(米)の父大室庄吉の兄大室寅之祐と言われている。で、あれば田布施大室家はある程度格式が在り信濃渡来系大室の流れを汲んでいると推定される。

 埼玉県に大室姓が多いのは、加須市大室の大室沼からの発祥と言われる。大室の「大熊家系譜」には、元は朝鮮半島からの渡来系の元祖伊賀守朝徳が信州高井郡の大熊村を領したので、太田を大熊に改めた。高井郡の大熊村とは現在の諏訪市に在ったらしい? 朝徳の子、朝忠は上杉家に仕え、次の朝久は長尾為景・景虎に属し、その子、朝秀は謙信に仕えていたが、その後信玄に内通し、その子の尊秀も武田に属し、勝頼敗北後、武州深谷、騎西領大室村へと潜居したのが始まりという。埼玉と田布施の大室は元々半島系の信濃大室氏を源流とする同族で、一方は加須市大室に、一方は田布施に流れたものかと思われる。
 

(1866年 当時大室寅吉。長崎にて。前の列、左から7番目の白い服を着た方。中央のフルベッキ(外国人)の真下の左の白い服着た方が東京明治天皇。フルベッキの真上のやや左が西郷隆盛)
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 明治維新後の大室寅之祐の東京明治天皇(写真)
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 まるっきりの与太噺と思っていたが、色々調べると確証は無いが、少し信じる様に成って来た。

 続く。

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