「明治の中期、日本海を望む水明の地『黄波戸(きわど)』に三輪家がマルサン醤油を創業いたしました。一方、旧日置村蔵小田の地で、安部寛氏(安部晋太郎厳父、安部晋三の祖父)ほか、有志により設立されました大津醤油醸造株式会社が、昭和十七年、国策に順応して企業合同をなし、大津醤油株式会社の社名と、マルサン醤油の商標で売り出されました。創業以来、百有余年にわたり、先人の企業精神を受継ぎ、皆様から『愛しよろこばれる醤油』の生産に努めてまいりました。品質の改善には特に留意し、伝統的手作りの手法を守りながら近代の製法をも取り入れて日夜、研賛を重ねております。何とぞ、ご賞味いただきます様お願い申し上げます。」
安倍寛が国政に関わったのは昭和12年 -21年であり、寛が企業合同を成したのは、国会議員の時ということになる。然し、安倍家は此の時醤油醸造はして居無い筈であり(大正期に潰れたとコメンテーターの青木理がラジオ番組で安倍寛の為人についての話にそのことを触れていた)、企業合同の話は辻褄が合わ無い。
* 「日置」「火置」の地名は、市や郡、字まで含めると可也ある。日置(「へき」・「ひおき」)と呼びますが、発祥は鹿児島が起こりと言われている。
意味は鍛冶・製鉄業の事で、「鈩」製鉄・砂鉄採集・古代製鉄・高温炉・燃料となる木材などに関する地域や姓とみるべきです。多少乍製塩も関係があるかも知れない。鹿児島の日置は砂鉄・製鉄地域、山口は出雲系鈩、和歌山は材木、北陸は製鉄・古代製塩だと推測される。尚、人名としては弓道に室町時代?からの日置流があり、古流の逸見流を学んだ日置弾正政次が確立した。
然し、日置が付く地名は曰くが在り、日本各地の日置が付く地名には、何故か被差別が数在るのも一筆して置く。
続く。
安倍寛が国政に関わったのは昭和12年 -21年であり、寛が企業合同を成したのは、国会議員の時ということになる。然し、安倍家は此の時醤油醸造はして居無い筈であり(大正期に潰れたとコメンテーターの青木理がラジオ番組で安倍寛の為人についての話にそのことを触れていた)、企業合同の話は辻褄が合わ無い。
* 「日置」「火置」の地名は、市や郡、字まで含めると可也ある。日置(「へき」・「ひおき」)と呼びますが、発祥は鹿児島が起こりと言われている。
意味は鍛冶・製鉄業の事で、「鈩」製鉄・砂鉄採集・古代製鉄・高温炉・燃料となる木材などに関する地域や姓とみるべきです。多少乍製塩も関係があるかも知れない。鹿児島の日置は砂鉄・製鉄地域、山口は出雲系鈩、和歌山は材木、北陸は製鉄・古代製塩だと推測される。尚、人名としては弓道に室町時代?からの日置流があり、古流の逸見流を学んだ日置弾正政次が確立した。
然し、日置が付く地名は曰くが在り、日本各地の日置が付く地名には、何故か被差別が数在るのも一筆して置く。
続く。
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