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【安倍晋三の出自を暴く~「明治維新=朝鮮族の日本乗っ取り」の真実?➂(乃木希典も朝鮮人捕虜の子孫)】第四十一談】

2016-12-29 14:04:06 | 安倍晋三の出自を暴く

 

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陸軍軍人、乃木希典の家系図、系譜が掲載されている …☜開くには左クリック

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000212546

提供館
(Library)
千葉県立東部図書館 (2110047) 管理番号
(Control number)
千県東-2016-0015
事例作成日
(Creation date)
2017年01月24日 登録日時
(Registration date)
2017年03月24日 09時19分 更新日時
(Last update)
2017年03月24日 11時19分
質問
(Question)
陸軍軍人、乃木希典の家系図、系譜が掲載されている資料を見たい.

【資料2】『乃木玉木家系図』(玉木正光著 玉木正光 19--)(千葉県立図書館未所蔵)
国立国会図書館デジタルコレクション「図書館向けデジタル化資料送信サービス」で閲覧可能。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885478
国立国会図書館デジタルコレクションについて( http://dl.ndl.go.jp/ja/intro.html
図書館向けデジタル化資料送信サービスについて( http://www.ndl.go.jp/jp/service/digital/index.html


【姜沆】(1567~1618) 儒学者。秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)により、日本に連行・抑留される。藤原惺窩らと交流、江戸時代の儒学(朝鮮の朱子学者)興隆の礎を築く。抑留記「看羊録」を残す。

 豊臣軍がされて来た朝鮮人は、二万人乃至三万人と云われている。其の内、徳川家康は、粗7千五百人を帰国させたと言われている。

 「驚くだろうが乃木希典も朝鮮人捕虜の子孫。」

 一五九〇年代の豊臣秀吉の朝鮮侵略は、日本側では一五九二年(文禄元・壬辰)開始を文禄の役、一五九七年(慶長二・丁酉)開始を慶長の役と呼んでいる。

「萩藩における朝鮮人捕虜と武士社会」山口大学木部和昭氏(歴史科学協議会『歴史評論』五九三号 一九九九年九月)

 木部和昭

 

 同論文に依ると藩士と成った朝鮮人は四家

 

李家元宥(李聖賢)家

 

 父は朝鮮の武将李福男。一〇〇石。

 

 のち寄組、大組の家が出た。維新後藩医の家から出て帝大を卒業し、各県知事・下関市長を歴任した隆介はその子孫。

 

村田五右衛門安政(金ウンナキ)家

 父は不明であったが、のち家康の寵愛を受けた姉がいることが分かり、大組士二〇〇石になった。

 

村田久右衛門定信(本姓不明)家

 

 右の村田氏とは別。後、大組。此の分家から天保改革の立役者である村田清風が出た。

 

渋木十右衛門成尚(本姓不明)家

 輝元の妻女付の臣。のち遠近付。他に萩焼陶工三家があった。

 

長府藩士乃木家の系図

 明治の陸軍大将乃木希典の先祖秀吉挑戦遠征毛利軍が連れて来た朝鮮人が仕えたのは長州藩支藩長府藩長府藩であった。

 乃木家が朝鮮人とする下関市立長府博物館所蔵「藩中略譜」(文政年間作成)を紹介した。

 乃木希典は、朝鮮人祖先とする家系で長州藩の『藩中略譜』には、乃木家の祖先は「生国朝鮮人従太閤吉田兵部殿ニオ預ケ」とあります。乃木家の祖となった朝鮮人は、秀吉の朝鮮侵略の際に捕虜となったのですが、その子孫である乃木希典は、朝鮮支配を争う二つの侵略戦争で功を立てました。そして死後は、南山に鎮座する植民地事業護持神に祭り上げられたわけです。

「高春は豊太閤高麗征伐の節に生捕りとなりて、古田織部に仕へたる朝鮮国人を養ひて娘の婿とす。」(以下略)


長府博物館所蔵の系図は次の如くである。

 

 乃木 姓 源 本 氏佐々木 


住国但馬乃木谷生国朝鮮人
従太閤古田兵部殿江御預ケ           母同家来加嶋権八女     

   
母金山豊春女 実 宗対馬守殿内打它壽庵男
 

―榮ニ改 乃木傳菴 ―友ニ改 瑞菴

 

 佐々木三太夫源冬純――――瑞昌======瑞心――――――――――――朝可==庸貞==隆伯――惟清==希幸==希吉――希次ーー希典

  ―女子 瑞菴室

 続 く


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