『日東壮遊歌』
之は1764年に日本に遣って来た朝鮮通信使従事官の書記金仁謙が書いたもので、その中で統治の大阪の豪壮な繁栄を見て
「北京を見たという訳官が 一向に加わっているが かの中原(註、中国)の壮麗さも この地には及ばないという
この良き世界も 海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ 獣のような人間が周の平王のときにこの地に入り 今日まで二千年の間 世の興亡と関わりなく ひとつの姓を伝えきて 人民も次第に増え このように富み栄えているが 知らぬは天ばかり 嘆くべし恨むべし」
と中国と大阪人を侮辱している。あれ、確か朝鮮人は昨今、日本人を朝鮮人の片割れだと言っているのではないか?
さらに此処には、
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が、倭人の所有するところとなり、帝だ天皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである、この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって礼節の国にしたいものだ。 」
今日の朝鮮人の日本解体運動は、この薄馬鹿通信使の実践を行なっているものだろう。朝鮮人はこのように原質で枉った下種民族なのである。
朝鮮人の妬み嫉みの感情の凄さは人間が等しく本来持っている素直さも捻じ曲げてしまっているが、本質的にはこの署に置いても日本の素晴らしさに対する人間としての素直な驚嘆も随所に見られる。
だとすると朝鮮人の忌み嫌われるべき原質の一部は、彼の国の為政者が成して来た自等の権威を優位に持って行かんとする洗脳が、彼の原人供の心を尚更歪めてしまったものだと言えまいか?
以下はネットのブログから抜き出した文である。
「皇室と日本国に対するこの凄まじい侮蔑感情こそ朱子派儒教が朝鮮民族に扶植した小中華思想(華夷秩序思想)であり、これが原因となって我が国の征韓論が浮上したのである。」
「明治維新直後の1868年1月、我が国の新政府は対馬藩主の宗義達を通じ李氏朝鮮に対し、維新による王政復古を告げ、第十二次朝鮮通信使の来日(1811年、対馬どまり)以後絶えていた朝鮮との修交回復を希望したものの、朝鮮は宗氏の書簡に「皇室」「奉勅」「朝廷」の文字があったことを理由に、我が国の修交提議を拒否した。金仁謙のごとく、或いは今日の韓国人が日本の天皇を「日王」と呼ぶごとく、李氏朝鮮は、東夷の蛮族であるはずの日本の君主が「皇」の字を使用することを許せず、またそのことを日本が朝鮮を臣隷とする野望を示すものと誤解したのである。」
屁ぬHKの大河ドラマは朝鮮系のプロデューサーによってつくられているので、あの汚い武士の格好や「朝廷」を「王家」と呼んで日本を侮辱しているのだ。それでいて李“朝”とは片腹痛い。日本からさんざ金を搾り取っておいてこの蛮族の遣ることは先に我等に喧嘩を売っているものである。何が差別だ!
つづく。
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