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天道の真髄は如何に?

【自然科学者の論証思考】

2016-02-28 16:25:42 | 学問
 自然科学とは、「自然現象を対象として取り扱い,そのうちに見いだされる普遍的な法則性を探究する学問」を言う。便宜的に,物理学・化学・生物学・地学等を総称して使われる。

 詰まり、一定の条件の下で総てのものに共通して必ず成立する事物相互の関係を一定の原理によって説明し、体系化した知識と,理論的に構成された全体を矛盾の無い様に纏め上げる研究方法等を、自然科学と言える。

 何れにしろ、自然科学で見出される普遍的な法則性は、与えられた命題が真である理由を明らかにすることである論証が必然で、論証の手段として必然的に帰結する理由となる事実の真偽を判定する根拠となる論拠を提示する形を取り、可証命題を結論とする推論で構成するが,用いる推理が演繹的であるか帰納的であるかによって演繹的論証,帰納的論証に区別される。

 演繹とは「諸前提から論理の規則に従って必然的に結論を導き出すこと」であり、帰納とは「個々の特殊な事実や命題の集まりからそこに共通する性質や関係を取り出し,一般的な命題や法則を導き出すこと」である。

 有態に言えば、「 事象の証明手段として頻繁に用いられる二つの方法がある。演繹法と帰納法である。 概念の分析や統合を主な仕事とするのが演繹法で、此れに対して観察や実験と言う「経験」に基づいて未知のものを導き出す手法を帰納法と言う。

 過去の出来事が事実に基づくものかを論証する過程では、単なる概念的世界を拒否し、経験的・実験的結果に基づき、現象間の因果関係を明確に論証されていかなければならない。

 我等が居棲む宇宙森羅万象は一定の法則によって存在するものであり、具象総ては原因があって現れるもので、此の原因に従って結果が齎される規則正しい因果律が此の世の根本原理と捉える。此れこそ、帰納法のよって立つ根本原理である。

  然も、帰納法に於いても「因果関係」を前提としている以上、三段論法的構成に於いても、演繹法での論証も、その前提は帰納法的推理に於いて明らかされなけば意味をなさないのだ。
」と言うことに成る。

 自然科学の勉強や研究には、其の分野によって方法論に違いがあり、同じ物理学でも、事実の証明の手段として使われる重点的手法は理論物理と実験物理とでは異なる。然し、物理学の分野では理論物理と実験物理が備わってこそ実証的科学として初めて成り立つものである。

 孰れにしろ。全科学の研究には先ず取り組む命題への「予見性」の前提無しには成り立た無い。研究者が此れは証明出来ると予測して初めて研究に取り組めるものである。其れは長年の経験を積み重ねて得られた確信可能な「感」働きから生じる姿勢である。

 余談だが、多くの一流大学を出た秀才が集まる政治屋の予見可能性のお粗末さは、呆れる程にお粗末なものである。亦、奴等が頼る所謂「有識者」は帰納的論証可能な経歴に大いに不足を感じるのは我ばかりであろうか?

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