「仕来り」とは、「其れ迄行い続けて来た習わしや習慣のこと。 民族が暮らす土地の気候風土に根ざし、歴史が培ったものです。 ただ、ヨーロッパの様に一つの大陸で数多くの民族が生活している場合、陸続きの交流から民族の集合離散が起こり、其々の仕来りが入り混じって淘汰されて行くことがある。 また、征服と略奪が繰り返された結果、民族独自の仕来りが侵略民族の仕来りに飲み込まれて消えて終うこともある。 現在のアメリカが、其の例として上げられる。 新参者として移住して来たヨーロッパ系民族の色に染まり、元々其の地に暮らしていたネイティブアメリカンの風習や仕来りは殆ど見られ無くなって終った。」と書かれているネット記事が在ったが、「 或る社会に共通して観られる行動様式を基礎にして成立した、一種の社会的規範social normsをいう。その社会の大半の成員によって、標準的で持続的な行動の型として守られる慣習のことである。」とも書かれているものもある。「悪しき」 には 「善く無いこと」「悪いこと」 という意味があり、 「慣習」 には、 「社会で古くから受け継がれてきた生活上の習わし、しきたり」 という意味がありる。
「習慣」は人間社会の集団に受け継がれて来た仕来り等で無く、人間社会の集団的仕来り迄に至らずに「 長い間繰り返し行ううちに、そうするのが決まりの様に成ったことをいう。
「人間社会の成員は、社会の中で、諸個人は労働の成果の共有・分配・交換を通じて結びついている。この結びつきは、社会の原初的段階においては、食糧を中心とする生活物資の調達がその主要部分を構成している。そして、この段階においても既に、動物段階とは比べ物にならないくらい複雑な認識の共有が必要である。なぜなら、食材となる動植物がとれる場所に関する知識、衣服・建物の素材となる物資の入手場所、それらの物資の加工技術などなど、多岐にわたる高度な認識は教育(認識の共有の一種)を通じてしか伝達・継承することはできないし、、それのみならず、労働の成果の共有・分配・交換をスムーズに行なっていくためには、諸個人間の協力関係(秩序)の維持を可能とするような種々の取り決めの認識(規範)を成員間で共有していなければならないからである。
社会は、道徳・慣習・法などの様々な規範を創り出し、それに諸成員を従属せしめることにより、多種多様な人間関係・役割関係を社会的に固定した存在物として確立してきた。これらを制度という。制度は社会的存在物であるので、社会の諸成員が認識の共有を通じてその存在を承認し、それに従って行動することによって初めてその存在を維持することができるものである。例えば、政府・法律・権利・通貨などの社会的制度は、みんなが「ある」と思って行動するからこそ存在し得るものなのである。」☜LingLang 古賀恵介の部屋より
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます