天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

宗教の国境破壊と民族の宗教破壊

2015-06-03 12:25:00 | 時事
現在日本の神社仏閣に対する毀損や放火などのテロリズムは日増しに拡大し存亡の危機とも言える状況にある。

日本の宗教法人は信者2万人以上が約150、
100万人以上が20近く存在し、その団体数は400~500は存在すると言われている。

勿論そのトップは桁違いで神社本庁であるが、今回は被害者である立場から除外する。

信者数2.3位が幸福の科学と創価学会である。

これら巨大な新興宗教団体は日本人にその信者を留めることなく国境の概念を破壊し、外国人の信者も獲得していく。

日本経済のグローバル化が拍車をかけている。
勿論、その逆統一協会などの外来宗教も信教の自由を盾に日本人信者を拡大する。


 
千葉県の神社に液体をかけた疑いで逮捕状が出た男(52)が、自ら創立した宗教団体内で

「神社仏閣には悪い霊がいて、日本人の心を縛っている。油でこれを清める」と話し儀式でも油を使っていたという。

「お清め」と称して油をかけていた可能性があるとみている。
 
米国在住の日本人医師(在日朝鮮人濃厚)で、キリスト教系を標榜する宗教団体を立ち上げている。
 
教団関係者などによると、男は偶像崇拝を否定。「神社仏閣には悪い霊がいる。油でこれを清め、日本人の心を解放する」という趣旨の説明をした。

この時代では全く倒錯した思想であると全否定も出来ない事件だが、戦後の信教の自由が齎したある事件を思い出した。

自衛官護国神社合祀事件である。

殉職した自衛官を山口県護国神社に合祀した行為が、信教の自由を侵害され、精神的自由を害されたとして遺族の女性(キリスト教)が、合祀の取消し請求を求めた訴訟である。

合祀に対し、納得のいかない女性は一連の合祀手続きは原告の信教の自由を侵害し、

また政教分離原則にも違反するとして、手続きの取消しと精神的苦痛に対する慰謝料を請求する訴訟を県隊友会と地連を相手に提起した。

《下級審の判決》

1審の山口地方裁判所(1979年3月22日判決)および控訴審の広島高等裁判所(1982年6月1日)の判決は、原告勝訴の判決であった。

事実認定では県隊友会と地連の一連の行為は共同のものであり、国家公務員である地連職員の行為が憲法で禁止される宗教的活動に該当し、政教分離原則に違反するとして違法としたものである。

《最高裁判所》は訴えを覆した。

多数意見によれば、合祀のための申請行為の共同性に対しては、地連職員の行為は事務的な協力であり、直接合祀を働きかけた事実はないとして、合祀申請は県隊友会による単独行為であるとした。

そのため地連職員の行為は宗教的活動には当たらないとした。よって合祀申請しても公務員である自衛隊職員(国家)は関係ないから政教分離の問題にはならない。

また精神的苦痛に対しては、自己の信仰生活が害されたことによる不快感に対して損害賠償などを認めることは、

かえって相手方の信教の自由を害することになるとして、強制的に信教の自由が妨害されないかぎり、(訴外の合祀を望んだ別の遺族や山口県護国神社に対して)寛容であるべきである。

以上のことから原告の信仰生活を送る利益を法的利益として直ちには認められないとして敗訴判決を出した。


自衛官自身は無宗教であること。
自衛官の実父が合祀を喜び、命日に参拝したことを挙げ

「多数意見のいう寛容が要請される場合であるといわなければならない。

したがつて、ある近親者によつて行われ、又はその意思に沿つて行われた追慕、慰霊等の方法が他の近親者にとつてはその意思に反するものであつても、

それに対しては寛容が要請されなければならず、その者の心の静謐を優先して保護すべき特段の事情のない限り、その人格権の侵害は、受忍すべき限度内のものとして、その違法性が否定されるべきである。」

と結論付けた。

ほか、裁判官3名が、結論としては法廷意見に賛成するが、地連職員の行為は行き過ぎないし憲法違反であるとする意見を付けた。

以上判決には批判を残す玉虫色の判決であった。

現行憲法下にあって信教の自由は保証されているにもかかわらず、発生する訴訟は人権を盾に過剰な反戦で神道を貶める宗教戦争の様相を呈している。

つまり信教の自由という大義名分で油をまく奇襲攻撃を仕掛けてきた宗教戦争の戦線布告とも思える。



かつて日本と韓国に国境がなかった併合時、半島は日本人になる事に悦びを感じる者が殆んどであった。

当時抗日運動のレベルで併合を快く思わない者もいたが、急速過ぎるインフラ整備に伴い、神社の建設も急ピッチだったであろう。

結果として神社としての宗教の導入にデリカシーを欠いてしまった事が、抗日運動に拍車をかける日本側の失態となった。

日韓の摩擦は結局この時点の宗教対立に起源する。安易に使う植民地支配と謝罪が日本人の口から出る限り彼らの恨みは消えることがないだろう。

その現れとして日本における宗教施設の破壊、毀損が愛国無罪、反日無罪の名の下に増加している。



これらの写真は茨城県の護国神社で、宮司公認の元行われた奇妙な踊とロックバンドである。

信教の自由の悪影響は今や民族に関係なく、物理的毀損に留まらず、一般の日本人によって精神的な毀損が始まっている。

しかし、これらの宗教戦争は布石となり今後日本に起きる悪夢を暗示しているにすぎない。

今や日本民族を二分し、しかも劣勢となっているもの皇室の存続である。

その呪縛は日本国憲法下で象徴とされ、合法的に貶められ不敬罪も廃止されたことで拍車をかけ、反転連さえ野放しにする。

戦後70年間自分のことだけを守ってきた抜け殻の様な国民は国体を蔑ろにし、侵略者に対してあまりにも無防備となり、護国神社の前で踊り狂う。

今、覚醒しなければ日本は必ず滅ぶだろう。