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反日運動とは「日本に譲歩をさせて何かを得る」ことを目的としている。
それにたいしてディスカウントジャパンは「日本を貶める、卑しめる」ことを目的とし、日本が誠実な対応をしても、「日本の存在」そのものが攻撃対象のために終わりがない。
その意味で慰安婦問題は反日とディスカウントジャパンの合わせ技で展開している。
これが何を意味するかは説明するまでもなく、慰安婦達の減少によって個人的賠償が限界を迎えるからだ。これには絡繰があって、そもそも個人的賠償は韓国政府が行うべき立場にあり、反日団体はあくまでも韓国国内で日本に向けて活動する。
韓国政府はこれを放置するばかりか歴史認識問題のオプションとして利用している。
日本に於いて近年表面化してきたナショナリズムの復権、それは反日勢力と呼ばれる国からの歴史認識として再三に渡って日本に投げかけられてきたことに呼応して業を煮やす形で現れたといってもいいだろう。
しかし、日本人がその過去に誇りを取り戻そうとすればする程明るみに出る日本人の不祥事は芸能人の不倫スキャンダル、元スポーツ選手の薬物、自民党議員の口利き、不倫と枚挙に暇が無い。
つまり過去の日本人としての美徳を追い求めると現代日本人の不道徳が表面化し始める。
この表裏一体ともとれる反応は何処にその源泉を探ればいいのだろうか。
靖国神社はその反日運動の象徴として捉えられている。歴史認識を掲げる中韓は靖国を戦争責任者が合祀されていることに憎悪を剥き出しにする。
同じく国内に於いてもそれに同調する形で戦没者遺族は分祀を叫ぶ。ここで特筆すべきは中韓の反日運動の靖国問題は内政干渉であることは疑いのない事実である。しかし、それが戦没者遺族とすることで容易に介入出来てしまう。
この併合という過去の古傷と軍国主義に全てを押し付けた日本人は所謂戦犯が戦犯または責任者であり続けることが自らを正当化する唯一の拠り所としてしまっている。
現政府と旧政府の違いこそあれ中韓の反日と国内の反日が共通項を見出し現政権に首相の参拝等の靖国問題として対峙していることは事実である。
先の大戦を総括しないというものぐさな態度と東京裁判史観でありつづけることのリスクが謂れなきディスカウントジャパンを生み出す根源となっているのだ。
日本人が先の大戦を境として大切なものを奪われたか置いてきてしまったのかも知れない。それは愛国心、神道、等様々であろうが日本人としての誇りであることに間違いないであろう。