天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

百人斬り訴訟を忘れないこと

2016-02-17 01:43:35 | 歴史
「市中引き回しの上打ち首獄門」
時代劇で良く耳にする言葉ですが、罪状を書いたものと罪人を馬に乗せ市中を回り打ち首をして晒すのです。一般的な死罪ですが、特徴は晒すという罰が死罪に付加されていることでしょうか。

現代の価値観では残忍と思われるかも知れませんが、それ以前は苦痛の伴う張り付けにされて槍で突くといったより残忍なものが徐々に軽減されていった事を加味すれば自然な流れかも知れません。

川崎中学一年生殺害の犯人は9年以上13年以下の不定期刑が確定したようですが、被害者家族は当然のことながら世間でも甘すぎるとの怒りを交えた声があがっています。

甘いとすら感じる検察の求刑よりも軽い司法の判断が死者と遺族に対しては余りに非情で残忍な判決となって帰ってくるのです。

これが仇討が禁止され極刑が絞首刑とされる死人に口なしの人権もクソも無い悪人に優しい現行司法であり、世間の常識からも乖離する傾向にあるようです。

つまり犯罪が残虐化しても刑法が固定されている以上司法判断に限界があるために起こるべくして起こっている現象なのかもしれません。

このような被害者と遺族は蚊帳の外の裁判が痛感される訴訟が原告敗訴の結果として記憶に新しい
百人斬り訴訟が思い出されます。




まずなによりお二人の遺書をお読み下さい。

向井少尉遺書(抜粋)
「我は天地天命に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等への罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八洲に帰ります。わが死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善、東洋平和の因となれば捨石となり幸いです。中国の奮闘を祈る。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死して護国の鬼となります」

野田少尉遺書(抜粋)
「俘虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。お断りいたします。死を賜りましたことについては天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以て、残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願いいたします。宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨み晴らさんが為、一方的裁判をしたりなされない様祈願いたします。我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。何卒、我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願いたします。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」

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百人斬り訴訟とは当時の戦意向上のための前線勇士の武勇談として創作されたもので、全くの虚構であったものが真実として南京大虐殺の虚構と混ざり合いながら日本軍の汚点として扱われたのです。

毎日新聞は国民を煽り強い日本を美化賞賛していたのです。その意味では当時の国民側を残虐な空気が支配し日本軍を盛り立てていたことは紛れも無い事実でしょう。

しかしながら毎日新聞は創作であることを認めないばかりか、朝日新聞、柏書房、本多勝一はその反省から遺族と二人の名誉毀損にあたる行為を書き続けたのです。

遺族が原告となって訴訟をおこしましたが、
毎日新聞、朝日新聞、柏書房、本多勝一の勝訴、原告敗訴が確定しています。

日本軍悪玉論とも言われる東京裁判史観が司法に与える最大の過失性が認められる裁判ではないでしょうか。

選挙のついでに✖︎をつけるだけの原始的な裁判官の選出方法さえ疑問に思える昨今、司法判断と一般的民意の乖離は見過ごすことの出来ない問題として声を上げ続けなければならないし、無罪となったものたちの偽善性も国民の手で「市中引き回し」ぐらいは行うべきだと確信します。