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〈習俗〉
初詣、お宮参り、七五三、ハロウィン、クリスマス。クリスチャンでもないのに日本人は寛容に受け入れ、神社の氏子でもないのに参拝は欠かさないのではないでしょうか。
神棚が無くても、無宗教だと思っていても国家神道、つまりは神社神道の習慣はイベントとして無意識に生活の中で名残として確り残っているのが日本人だと思います。
戦後大日本帝国が消滅しても、いくら軍国主義、国家神道を否定しても日本人の習俗は残るのです。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は全て同じ神を信じ人間が書いた教典とその解釈で対立、戦争までに発展します。
一神教の神は同一であり、信じる事が共通の基本となります。其々の戒律を守るネガティブリストな訳です。
一方神道は教典、戒律がある訳でもなく、八百万の神、極端に言えば一神教の神もその中に含まれるのです。ですから、信じる信じないではなく、祈願や感謝を伝える場が神社であるのです。
『古事記』や『日本書紀』などの神典にのっとり祭祀をおこない、祭祀の担い手となるのは神職で、神社本庁の定める研修を修了した者に資格が授与されます。
〈戦後〉
戦後国家神道は解体され国教としての神道が信教の自由に伴い国家と切り離されました。天皇、靖国神社はタブー視され、独善的ナショナリズムとして右翼が抑圧され、健全なナショナリズムさえも一緒くたにしてきたのです。
戦争の反省として必要以上の贖罪意識が支那、朝鮮の歴史認識問題として付け入る隙を与え、これにマスメディアや一部の日本人が歴史捏造する事で反日勢力として安倍政権に向かう様になりました。
〈二段階の反日〉
何れにせよ反日は過去の戦争被害を現在の日本、政府に働きかけるものと過去を讃える施設神社仏閣を毀損するなどのパターンがあり、団体が前者で個人が後者に分類できます。
この両者を第一段階とすると、第二段階が日本人を中心とした皇室に対する反日です。
戦後の皇室は神道指令によって神道と皇室は計り知れないダメージを受けます。教育から皇室が排除され、マスメディアはタブー視し、週刊誌の皇室報道は常軌を逸し、与党公明党の山口代表は主権回復式典の万歳に違和感を表明しました。
連立与党が反日的発言をするまでこの国は重篤な状況下にあるのです。
〈靖国否定〉
神社神道を否定され宗教法人として取り壊しを逃れた靖国神社ですが、戦没者が英霊と言う神になって祀られています。神道の祭祀王である天皇陛下は御親拝を中断され勅使での慰霊という異常な事態がまだ続いています。
これも戦後の軍国主義否定の延長線上に靖国神社が巻き込まれ他宗教や学者に至るまで靖国を否定的に捉えるのです。
国の為にその命を捧げ國體を死守した人々を国のやり方で首相が慰霊する事を問題視する者こそ国賊であり、反日であるのです。安倍総理は自国の戦没者を慰霊することが出来ない事を痛恨の極みと表現しました。アーリントン、真珠湾で敵国だった戦没者を慰霊し、靖国参拝が米国の失望とは言えない状況を作りました。
これで堂々靖国参拝をして天皇陛下の御親拝を実現して欲しいものです。