天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

公明党と靖国神社

2017-08-01 09:12:54 | 時事

箍(たが)とは木製の板で作られた桶を崩れないように周りから支える竹や金属の輪のことだ。

この箍が自民党なのか公明党であるのかはまだわからない。

そこで、公明党、創価学会の靖国神社観、天皇観を見てみよう。

連立与党の座にある公明党、その支持母体
創価学会からすれば,靖国神社も邪宗であり、その鳥居や参拝は公にはあまり漏れないが、鳥居はくぐらず、参拝はしないだろう。


2013年12月26日の安倍首相の参拝について、
公明党の山口那津男代表は、参院議員会館で記者団に、大要次のような見解を述べた。

『一、かねてから、首相の靖国神社参拝が政治問題、外交問題を引き起こすので、安定的な(外交)関係をつくるためには避けた方がいいと繰り返し述べてきた。にもかかわらず参拝したのは、今後、引き起こす問題を考えると残念だ。

一、中国や韓国などから反発が出るだろう。国内にもいろいろな意見があるので、批判や反発も出るだろう。それらをある程度予測した上での行動であろうから、首相自身が問題解決へ努力する必要がある。問題を乗り越えて、大局的な立場で反発する国々との関係改善を図る努力をしていかなければならない。われわれも最大限努力したい。

一、首相から(参拝の)出発直前に連絡があった。問題を引き起こすという点からして、賛同できないと言った。』

公明党の代表だけあって宗教的観点からの言及は避け外交問題、中韓の反発を考慮しない参拝と、批判的である。

要するに行かない、行かせないのが基本姿勢。

ついでに創価学会の天皇観を見てみよう。

池田大作氏の天皇観

『具体的にいうなら、今日、天皇の存在は、日本民族の幸、不幸にとって、それほど重大な要因ではない。時代は、大きく転換してしまっている。こんどの新憲法を見てもわかるように、主権在民となって、天皇は象徴という立場になっているが、私はそれでよいと思っている。いま問題なのは、天皇をも含めて、わが日本民族が、この敗戦の苦悩より、一日も早く立ちあがり、いかにして安穏な、平和な文化国家を建設するかということではなかろうか。姑息な考えでは、日本民族の興隆はできない。世界人類のために貢献する国には、なれなくなってしまう。』


池田大作にとっての天皇は戦後日本にとっていてもいなくてもどちらでも構わないそんな軽い存在なのである。それよりも国民(学会員)の生活が大事、世界人類の為に貢献する日本人が大切なのだ。

つまり、戦前の日本は忘れてまずは生き残った日本人(学会員)が安穏で、平和な文化国家を建設するか、その為には天皇も忘れること、というまるで共産党とその考えは寸分違わない。

都知事選では自民党を裏切り、安倍首相の安定政権とかろうじて連立しているのは、安倍首相の保守的歴史観に必ずしも同調しているのではなく、その安定性に乗っているだけに過ぎない。

安倍首相が参拝出来ずにいた時の"痛恨の極み"は
山口代表にとっては危機的発言であり、参拝後の玉串料のみの状態は連立を繋ぎ止めておくための譲歩にも思える。

つまり、短絡的に考えると憲法改正の絶対条件が靖国神社との決別という安倍首相にとつてのジレンマとなっているということである。

これを解消しようとしたのが、歴史的判断、歴史的見解は全て歴史家に委せるとしたことである。

要するに政府としての判断を避け棚上げすることで連立を保っている。

この状態は靖国がかつての日本はいい国との歴史観と反靖国のかつての日本は侵略植民地支配した悪い国の反日諸国と同じ戦勝国史観であり、公明党は反日史観に追従している。

箍が外れた時、つまり連立が解消した時、自民党が解党するか公明党が解党するかで残った方が箍であったことがわかる。

もし仮に自民党が箍であった場合公明党を始めとする反靖国派は力を失うであろう。逆に公明党が箍であった場合は自民党をはじめ保守派の終わり日本の終わりを暗示するのだろう。