天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

現御神宣言

2019-02-20 12:20:11 | 歴史
前ブログで人間宣言は現御神、現人神宣言であることを言及した。


現御神(アラミカミ・アキツミカミ)も現人神と同様の意味であるが、早い話が神のように尊い人である。

その尊い人の会見のご発言をご覧いただこう。

— 昭和天皇、1977年8月23日の会見

 『そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。

 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。

 民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。

 それで特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。

 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは、感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。』


神格とかは二の次で日本は明治来民主主義であったことを外人に示す必要があったということだ。

《外人の誤解》
日本のエンペラーは国教を神道とし、神の座に君臨し国民を洗脳しカミカゼアタックしてくる恐ろしい民族ではないのか?


つまり日本を占領するにあたって陛下の口から神ではない、と神格を否定させる発言をさせる為に詔書の草案を幣原に持ちかけたのだ。

幣原がdivine神のようなを使い福島が現御神と訳したのだ。幣原がGODを使うか福島が神と訳してもマッカーサーは納得したであろう。

結果として外国人に伝わったので問題は国内の日本人だけに留まった。

マッカーサーの憲法草案にあった天皇を国家元首とすることは象徴という独自な言葉に変え八月革命なる解釈で主権を国民にあるとした。

『日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。』と常に国民の事を考えておられる現御神のお立場は現在の今上陛下も変わらない。

変わったのは主権の移譲という目に見えないものと教育とマスメディアの扱いだ。

つまりこれは戦前から変わらぬ「現御神宣言」だったのである。

マッカーサー草案にある戦力の不保持とマッカーサーが作らせた自衛隊を未だに軍隊と呼べないのはこの現御神宣言を理解しようとしない日本人だからであろう。


などてすめろぎはひととなりたまいし

2019-02-20 08:57:36 | 歴史
『どうして天皇は人間になられたのか』

三島由紀夫の「英霊の聲」
二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校と、神風たらんと死んだ特攻隊員の霊が、天皇の人間宣言に憤り、呪詛する様を描いた作品であり、昭和天皇への想いを英霊の聲として降霊させ発せられた言葉である。


そこで二つの疑義が生じる。
226事件の英霊である。特攻隊として敵艦へ突入した兵士は文字通り戦死を遂げており英霊と呼ぶことに些かの抵抗もない。

故西部邁は「(靖国)神社は「英霊」を祀る場所であり、そして「英(ひい)でた霊」とは「国家に公式的な貢献をなして死んだ者の霊」のことをさす。故東条英機をはじめとするA級戦犯と(占領軍から)烙印を押された我が国の旧指導者たちに英霊の形容を冠するのは、歴史の連続性を保つという点で、是非とも必要なことと思われる」、「A級戦犯と名付けられている(戦勝国によって殺害された)人々の霊(なるもの)が英霊でないはずがない」と説明している。

昭和天皇は彼等を賊徒と呼び率先して鎮圧している。つまり、戦死でもなく靖国に祀られる訳でもない犯罪者である。英霊と呼ぶにはふさわしくないだろう。

次に人間宣言であるが日本国外では「天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げた」として歓迎され、退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象も好転したようだ。

国内的には当たり前のことであるとあまり騒ぎにはなっていない。つまり当時の日本人にはあまり響かなかった、理解されなかったと考えられる。

明らかに英霊の聲は三島自身が、昭和天皇の二度のご聖断、226事件の鎮圧とポツダム宣言受諾に対しての 企てた謀叛であり「などですめろぎはひととなりたまいし」はその叛旗であったのかもしれない。

何故三島由紀夫はマスコミが造語した人間宣言をここまで取り上げたのかということが二つ目の疑問である。

三島由紀夫は殆ど靖国神社には言及していない。
終戦を20歳で迎えた三島の徴兵試験は虚弱体質で甲種合格にはならず,第2乙種合格になり,最終的には徴兵をまぬかれているが、同世代はそれこそ数えきれないほどが英霊となっているのだ。

226事件は所謂皇道派が企てた昭和維新であったことを考えると彼にとっての英霊は寧ろ226事件の首謀者であったのかもしれない。

いや、正確には自身と首謀者は英霊のなり損ないであることから逆に英霊に対して常人では想像もつかないコンプレックスを抱き、ご聖断によって裁かれた首謀者と自身を重ね合わせたと言える。

決死の覚悟で臨んだ徴兵試験は國體から爪弾きにされた絶望感と英霊を拒絶された疎外感を226の首謀者に重ね合わせたに違いない。

その意味では特攻の英霊は三島にとって本土決戦は終戦、つまりポツダム宣言受諾によって奪われたのであり、一体何のために敵艦に体当たりしたのかという哀れみの発露としての英霊となるのだ。

其々の英霊に対する共感と哀れみ、行き場を失った怒りと落胆を英霊に語らせることによりさきの大戦を振り返ったのだろう。

結果として226と終戦での昭和天皇のご聖断に三島は人間を見たのであってその人間に命を救われたのである。

従ってこの人間宣言はそれが8月15日を境に三島一人を取り残したまま大きく逆方向に流れ始め、またしても國體と交わることを拒絶された宣言となったのだろう。

我々には想像もつかない孤独感を内在していたに違いない。そして彼はたった一人市ヶ谷で英霊となったのである。