天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

年越しで火垂るの墓を考察する

2021-01-01 12:42:00 | 映画



野坂昭如の原作のエンディングは二種類ある。


火垂るの墓『オール讀物』

 『三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十は あった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付さ れ、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。
夜、布引の谷あいの螢、無数にとび立ち、一筋の 流れとなり、三宮駅浜側の夏草のしげみに流れおち、く さむら一面無数の螢火にかざられたという、うち捨てら れた節子の骨を、守るようにあやすように。】

火垂るの墓『単行本』
【昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死 にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共 に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納 骨堂へおさめられた。】


このようにグリーン部分はタイトルの火垂るを想像させるのに直結する部分だが、妹に関しての鎮魂をバッサリカットして、兄の死の日付を加筆することで、冒頭へとループさせる手法をとっている。

小説とは言え心にも無いことを描くことは憚られたのであろうか、自分の投影である兄を餓死させる事をループさせることで、贖罪意識を自身に呪縛させているとも考えられる。

14歳の野坂は本編と真逆で妹の面倒をみることに煩わしさを吐露しており、そしてそれは戦争の所為でないことも反戦小説ではないことから想像できる。

敢えて擁護するならば、正直な少年は時代に翻弄されたのであろう。

その時代に関して少し触れておこう。

鶏を自分でしめて食べていた時代であり、極めて残忍で暴力的であること、現在とは人権的な感覚は乖離しており、当然なことながら戦争に対する感覚もかけ離れていた。当時の政策を見てもそのことは窺える。



日本民族悠久の発展へ 人口政策要綱案なる
近く閣議に付議決定
(朝日新聞【1941年1月16日】)

一般家庭に平均5児を 一億目指し大和民族の進軍
    (朝日新聞【1941年2月23日】)


【1941年7月18日- 1941年10月18日】
第三次近衛内閣
【1941年10月18日-1944年7月22日】
東條内閣

【1941年12月8日】
午前6時ラジオの臨時ニュース

『帝国陸海軍ハ今8日未明西太平洋二オイテ米英軍ト戦闘二入レリ』

日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃するとともに英領マレー半島への進攻を開始した。




昭和16年の年頭に『産めよ増やせよ』5人以上と強制しておきながら、年末には開戦するという時代である。

このような時代に翻弄された14歳の少年が野坂以外の少年でも献身的に妹の世話など出来るはずはない。
煩わしいと吐露出来るだけ正直者だ。

小説化は妹への贖罪と鎮魂である前に自身のPTSDからの解放だったのではないだろうか。

現在の価値観で遡求して戦争体験を見てしまう我々戦後世代はこのような反戦アニメでは無いものを反戦アニメ、反戦小説として観てしまう傾向がある。

ジブリ故高畑氏が蛍の儚さと美しさを強調すればするほど戦争自体や戦争した国家の醜悪さが表に出てしまうのだ。

火垂るの墓が反戦アニメに見えてしまう原因はここにある。更に中国の「人民日報」は微博(国営SNS)を通じて「記憶にとどめておくべき良識ある日本人」として宮崎の名を挙げているが、宮崎駿の徹底した反戦と日本の戦争責任を問う思想が高畑作品に与える影響は小さくないだろう。