天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

戦争とは

2021-01-24 10:49:00 | 靖国



現在の『戦争』という言葉について考えたい。

日本人にとっての戦争が終わって80年近く経過してるのであるから歴史として以外は語られなくなるのは当然なことだ。

それだけに歴史的に戦争を捉える場合、ザックリとした感覚で見てしまうことの危険性を考えたい。

日本は戦後一貫した教育でそれを教えてきたことはそれなりの成果をあげてきたのだろう。

『戦争』『あの戦争』といった場合
つまり戦争全般に対するものと限定的な戦争との違いがある。

そこに一般的に戦争は悪い事との評価を付け加えることで過去の戦争すら絶対にいけない、悪い事として国の体制まで殊更悪く評価してしまうのだ。

では大東亜戦争、支那事変 【太平洋戦争、日中戦争】に関して考えてみよう。

その呼び方ですら戦勝国側の呼称を余儀無くされているのであるからフェアとは言えない。

少なくともこの戦争に関して使われる"戦犯"や"A級戦犯"は戦争犯罪者であり、そもそも日本国内では使うべきではないのだろう。
また似た言葉で"戦争指導者"がある。裁かれた代表として罪を償っている分"戦犯"と同義で使っているとも思えてしまうが、まだフェアであろう。

つまり、日本はこの戦争を自身で総括してこなかった、というより出来なかったのである。戦勝国の言われるままに"戦犯"を決められたからに他ならない。

したがって日本にとってスケープゴートや冤罪の可能性も低くはないのだ。

現在では侵略戦争も定義され自存自衛の為の戦争は除外されるが、この過去の戦争はどちらも自存自衛同士の戦いであり、負けた側はその権利すら剥奪されたのだ。

したがって我々が戦後受けてきた教育は反省に加えて戦勝国側の意に沿った教育になるのは致し方ないとしても、80年経過した現在も『侵略戦争』『植民地支配』『従軍慰安婦』『南京大虐殺』と事実とはかけ離れた事象を歴史的事実として教育され続けているのは少なからず問題であるといえよう。

靖国神社に集まる声には戦争責任者と餓死者は違うとの声が一般的批判としてあげられるが、これも上記の教育の成果として靖国神社へ向けられる声のように思う。

しかしながら何もこの声の原因が戦勝国側のみの陰謀ではなく、日本人の中でこれを利用して焼け太った反日日本人の存在も忘れてはいけない。

たとえば『靖国神社は戦争を美化している』という声をよく耳にする。

あの戦争は自存自衛だった、日本軍は悪くない、等に対して向けられる共産主義者的な物言いであるが、何も靖国神社が誇張した言い訳を表明しているのではなく、単なる事実を淡々と主張しているだけであるということを理解して頂きたい。

したがってこれは日本人の反省に漬け込んだ醜悪な言葉遊びとも言えるのである。

当事者と非体験者の絶対数が逆転した現在ではこのような言葉遊びすら真に受け戦争に関する情報は拒絶する傾向もある。

慰安婦問題も性奴隷とされ政府の新たなる謝罪を引き出そうとするが、謝ったのだから性奴隷は事実であったことを認めてしまうこととなってしまう悪循環にも陥る。
所謂日本バッシングの為だけに報告されたクマラスワミやマクドゥーガルの報告書は要は【20万人の性奴隷を虐殺した】という虚偽報告書に過ぎないが、一度でも謝罪すれば世界的には日本はその様な色眼鏡でみられるのである。

また首相の参拝すら容認することが憚れる傾向も無視できない。理由として、国家が戦争を容認したり、宗教への介入と捉えることで問題化しているのであるが、このような政治問題化についても冒頭の「戦争」に関しての"ザックリした感覚"が影響してくる。

靖国神社アレルギーとでも言えば伝わるだろうか、正確に言えば"戦後の反省とWGIPの成果"と言えるのではないだろうか。

ここで冒頭の写真についてだが、彼が戦争の被害者であることは瞭然であるが、彼等はどうであろうか、

そして彼等は?



そして彼等は?


彼等のお陰で現在の自分があると思えば彼等は戦争の被害者や犠牲者であることは疑いようはない。つまり、この時期の日本人全体が戦争の犠牲者と言えるのであり、戦犯もなにもないのである。

何のために彼等日本人は内地で、太平洋で、大陸で現在では想像もつかない壮絶な体験をしたのであろうか。

私には彼等全てが英霊であり、戦犯や戦争指導者として糾弾や分祀などとは口が裂けても言えないのだ。

負ける戦争を避ける方法は戦争をしないことが答えであろう。負けることが分かっていて戦争に突き進んだ彼等のために我々が出来ることは感謝して二度と戦争をしないことでもある。

そしてその象徴の靖国神社を存続することであろう。