天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

菱木政晴という反靖国教授

2015-06-15 20:23:22 | 歴史
正月の一般参賀に行かれた方は解ると思いますが、厳しい持ち物検査とボディチェックを受けてから皇居内に入ることが許されるのです。

玉串料を私費で収めても公用車を使えば、またSPを伴えば違憲濃厚の判断が裁判にならずともマスコミか御用学者たちは囁き、提訴も辞さないと一国の首相に凄みます。

ガラスの一枚もない靖国に天皇陛下が御親拝を再開するには公権力を使う警備は必須ですし、現行憲法下で判断の難しさもあります。

この現状をも左翼学者は利用して、天皇も行かないこんな神社ははたして必要なのか、という靖国潰しのレトリックに多様されます。




菱木政晴は宗教家で大学教授でもあり、小泉氏の参拝で国を訴えた原告団事務局長で「参拝が合憲とされた例は一つもないのに首相が参拝に踏み切ったことに強い怒りを覚える。準備が整えば提訴したい」と語った。(毎日新聞)

『殉教と殉国と信仰と 死者をたたえるのは誰のためか』(高橋哲哉、森一弘との共著、白澤社、2010.6)は反靖国の立場を知るのに興味深い共著です。

『戦没者を褒めることやありがとうは次の戦死者を想定し、「後に続け」につながる危険性を指摘している』が、時代錯誤の言いがかりで今の日本がある事への感謝を単に右翼思想と直結させて貶めたいのです。

菱木政晴は『世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、比較宗教学や文化人類学の成果をもちいることによって困難なく抽出可能である』として以下のようにまとめている。

【聖戦 - 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。】

自国の戦闘行為が正しくないと思って戦う国民がいるでしょうか。八紘一宇と同じ意味あいです、動員する為に使ったという言い回しですが、どちらかと言えば士気を高める為だったのでしょう。

【英霊 - 聖戦に従事して戦死すれば神になる。そのために死んだ者を祀る。】

まるで強制集団自殺へと追い込む精神的呪文といいたげな事を隠し、単なる用語説明文に見せていますが。「死んだ者を祀る」の言葉に冷たさを感じます。

【顕彰 - 英霊を模範とし、それに倣って後に続け。】

ここでいう顕彰の説明に至っては戦死者を量産させる為という全く倒錯した考えです。表彰と同義語ですが死者に対して行われ、階級を上げてせめてもの行える事として後世に名を残すということなのです。

以上3つの言葉は戦没者を被害者として考えGHQの意向に逆らうことなく、継承し軍国主義に鉾先を向けるレトリックなのです。


【そして、「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。

また、国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。】

『顕彰教義』などという無理やり造語まですることは、甚だ乱暴であり宗教的トリックなどという歴史的根拠のない捏造を皇室にまで広げて
まで靖国に無理矢理教義を作り出し、神道を宗教に見せかけ靖国、神道、皇室を纏めて宗教と解釈し、米軍草案の憲法の信教の自由に強引に抵触させるという薄汚いやり方なのです。

神道(ショッキングな画像を含みます)

2015-06-14 09:09:42 | 歴史

世界中に原始宗教であるアニミズムが存在した、陸続きだった地域と海に囲まれた島国では変化、発展のスピードは異なる。

キリスト教を創造したヨーロッパから見て未開の地の未発達の原始宗教と蔑視されるが、

時間をかけ何者にも侵略されない島国においてしっかり根を張り、熟成されていく。

つまり一つの石ころに精霊が宿るとするアニミズムは別の新たな対象物を求め拡大し教義を作り宗教となるが、日本に於いては拡大しない分
蓄積されて神道となる。

GHQは「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の覚書を出し、

国家神道を解体し、政教分離をすすめることを表向きに神道司令をだしたが僅か4年で大幅に緩和された。

「神道指令」は、神道の禁止だけを目的としたものではなく、日本及び日本人に命じた事柄は、神道に加え、皇室の伝統、そして歴史教育を全面否定することだった。

このため、今日でも反日マスコミや政治家は、「神道」「皇室」「歴史教育」の問題となると、常軌を逸した批判をする。

GHQの意を汲んだ日本人が忠実に占領以降も継続したからだ。

神道は宗教か?の議論にまで影響を及ぼすことになる。宗教であるとする宗教説だが、

『菱木政晴は世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、比較宗教学や文化人類学の成果をもちいることによって困難なく抽出可能であるとして以下のようにまとめている。

聖戦 - 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
英霊 - 聖戦に従事して戦死すれば神になる。そのために死んだ者を祀る。
顕彰 - 英霊を模範とし、それに倣って後に続け。
そして、「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。また、国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。』

僧侶であり宗教学者でもある彼の逆説的な主張は余りに稚拙という以外言葉もない。


柳川啓一は「国家神道は明確な教義を有していた」として以下の4点をあげている。

『天皇は神話的祖先である天照大神から万世一系の血統をつぐ神の子孫であり、自ら現御神(あきつみかみ)である。
『古事記』、『日本書紀』の神話の国土の形成、天壌無窮の神勅にみえるように、日本は特別に神の保護を受けた神国である。
世界を救済するのは日本の使命。他国への進出は聖戦として意味づけられた。
道徳の面においては、天皇は親であり、臣民は子であるから、天皇への忠は孝ともなるという忠孝一本説。』

柳川氏もあからさまな押し付けの様な論であるが流石東大教授だ、この短い文章の中で、神道、皇室、軍国主義を否定しながら教義化している。そしてこれらを根底に戦後教育が進められてしまった。

注意すべきは相当数彼の弟子達が世に放たれてしまっている。

彼らにとって神道は宗教でないと都合が悪いのであり、兎に角教義を無理やり作り出し、軍国主義を貶めたい一心でGHQの為に働き、

軍国主義と国家神道の為に負けた腹癒せをするように、神道の全てを否定しようとする。


民間信仰禁止政策は明治初期において、神霊の憑依やそれによって託宣を得る行為、性神信仰などが低俗なものや迷信として否定され、多くの民俗行事が禁止された。






また、神社の祭神も、その土地で古来からまつられていた神々ではなく、『古事記』、『日本書紀』などの皇統譜につながる神々に変更されたものが多い。

王政復古して、富国強兵するのだから無理もない。

現在でも写真のような一見ふざけているかの様な信仰を真面目に復活し信仰する人々もいる。

完全に宗教でないことがご理解いただけるだろう。

信教の自由を無理矢理さだめても、いくら宗教団体が出来ようとも日本人がいる限り続いていくだろう。

そして一番大切なことは宗教か宗教でないかではなく、宗教で啀み合うのでなく平和で安寧であること。

まさしく皇室がそのことのみを祈り続いている事実。

神道が世界平和の為の要であることを最後の写真が暗示している気がしてならない。

磐座(いわくら)

2015-06-13 06:35:25 | 歴史
磐座とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののことです。


この磐座から神を降臨させ社に神を止め置く
鈴を鳴らして自分の存在に気づいてもらい、二礼二拍手一礼します。

古代から現代までの神道の流れを最小限に説明するとこのようになります。

このようにシンプルに説明できてしまう神道が二千年以上も変わらず継続されて、今尚続いていることに感動を禁じ得ません。

スマホで何でも調べられる時代となっても未だ人類が成し得ないこと、地震予知です。

自然現象に対して凄まじく強大な力の前には人々はひれ伏すことしか術のないのは古代も今も変わりません。

この神道の始まり自然崇拝、精霊に神を見い出す信仰は他の一神教や固有の神とは明らかに異なる考え方で、最古にして実にすぐれた信仰だと感じます。

自分の身は儚く脆い存在で目の前にある岩は何千年も前から今後何万年後へと不変であるという想いに神を創造することは自然なことなのです。

ここまで科学がすすんでも地震予知など出来ないと結論してしまうほど、自然の猛威の前には余りにも無力なのです。

この磐座を排除してのマンション建設に地元住民が反対の声を上げています。

この工事では磐座三体を破壊してその上にマンションを建設するようです。

単なる建設に対する反対ではなく磐座と神社の保全を望んでいるのであり、反対住民の訴えはごく自然で当たり前に思います。

ここで私が問題としたいのはこの建設会社が宗教団体関連でないのか、ということです。

これは神への冒涜との問題ではなく、宗教団体による神道破壊、反日日本人による日本人破壊だということです。

これを放置すればやがてこの建設会社は皇居内に巨大ビル群を建て兼ねません。

つまり磐座を破壊しようとしているだけでなく、これは兵庫県だけの問題ではなく
日本、神道、皇室へのテロ行為、破壊行為の布石であると考えるのが自然です。

全国の皆さん、神社本庁、日本国民、の反対の声と署名が磐座を救い、神道を救い、皇室、日本を救うのです。



中韓の歴史認識という被害者ビジネス

2015-06-12 07:51:47 | コラム
、アイヌ、沖縄とほぼ日本を縦断し国や自治体から巨額な金や利権を合法的?にむしり取るたかりの構造被害者ビジネスがある。

はなくなりアイヌ問題へ、そして基地問題を抱える沖縄においては知事まで含めマスコミ、大学、野党を巻き込んだ超巨大被害者ビジネスが狼煙を上げた。

辺野古のテントにすわっているだけで、デモに参加するだけで給料が支給される。

雇い主は誰なのか?

日本の企業が中国の金をばら撒いている。

今や被害者ビジネスは日本の軍国主義からの被害者という名目で沖縄、中韓と横繋がりで力をつけて、今や映画監督やジャーナリストまでもが基金まで注入し火に油を注ぐ。

話を日中共同宣言まで巻き戻してみよう。
田中角栄は国交回復を急ぎすぎたのか、中国からの戦後賠償に対しODAを約束してしまう。

歴史認識問題は既にここを起点として始まったと容易に想像は付く。

我々が戦火を交えたのは蒋介石率いる中国国民党であり、戦後賠償は済んでいる。

つまり、先の大戦で戦勝国からA級戦犯、戦争責任者とされた屈辱をそのままにした我が日本はその曖昧さに付け込まれ、靖國問題、南京問題、果ては慰安婦問題まで派生させた。

結果を俯瞰でみれば鍋の底に空いた無数の穴から日本の金が水のように勢い良く漏れ出ているのだ。

米軍に破壊された真の歴史と国体をそのままにしていては鍋の中の水が底を突くのも時間の問題とは思いませんか?

所謂A級戦犯は戦争責任者であるのか

2015-06-12 07:05:55 | 歴史
徴兵、戦時暴力、集団疎開、戦争に対する其々ルサンチマンを抱えたものが戦後の日本を作ってきた。

戦後生まれでも20年代は戦争体験者が近親におり徐々にそれは薄らいでいく。

戦争に対する憎悪は米軍の占領政策と相まってA級戦犯や国に向けられるのは自然な流れであり、薄らいでいくのと同時にその矛先は軍国主義に意図的に向けられ憎悪は恐怖へと変質していく。

米国を始め戦勝国が日本をドイツと同じ様に裁けるとしたことが結果的には後の日本に禍根を残すことになった。

極東軍事裁判つまり東京裁判は敗者日本を戦争を始めた犯罪国としてニュールンベルグ式で裁いた事後法裁判であると共にドイツには物理的なベルリンの壁、日本には心理的な自虐史観の壁を齎すに至った。

ベルリンの壁は約30年で崩壊したが、70年が経過したこの国において僅かな亀裂は入るものの東京裁判史観として依然高く聳える。

日本は先の大戦の総括をしてこなかったと自虐的な言い訳をよく耳にするが、それさえも許さないほど占領のプログラムが激しかったことがうかがえる。

ウォーギルトインフォメーションプログラムは
憲法、教育、マスコミを統制した。その上での検閲は個人の手紙にまで及び、憲法草案の出自

GHQの批判、東京裁判の否定、全てが軍国主義の責任であるとした。

当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実がある。

「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。

「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と江藤淳は主張している。

つまり、占領政策の恐怖は教育とマスコミが日本人の手によって、時間が経過するごとに、より深く国民の中に浸透していったことを表す。

要するに東條に代表されるA級戦犯や軍国主義に対しても身代わりの意識は存在したが、単に敗戦国の宿命と異を唱えるものは少なかったのであろう。

後の4000万人の嘆願署名と全会一致の閣議決定で公務死、昭和殉難者とされたことからも
ドイツとは決定的に異なるように、日本国民は一億総懺悔で戦争責任は日本国民全てににあると結論したのである。

当時の日本人に戦争責任者を決める事はおろか、自ら裁くなど到底不可能であることが理解出来よう。

A級戦犯は戦争責任者などでは無いと結論出来る。

このことを再認識しない限り東京裁判史観の呪縛から解き放たれることはなく、自虐史観は消えることなくハンデキャップとして受け継がれていくのであろう。