天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

dogfoodさんからのコメント

2019-03-15 07:27:10 | コメント



・コメントを書いた人
dogfood

・コメント頂いた記事

竹田氏「元検のくせに」住田弁護士「人権侵害だ」の巻

・コメント
私も住田弁護士の考え方に対して
基本倫理が無い人にしか見えないです。
この人に好印象を多数が持っているので
放送局が使い続けるのかな?
視聴者への ”なんで?” が止まりません。

・お返事
コメント頂きありがとうございます。
地上波に出演する弁護士に違和感を持たれる方は少なくないようです。仰る通り基本倫理が欠けているように映るのは弁護士、元検事のくせに住田弁護士が不必要な安倍批判のスタンスを明確に主張したからでしょう。

竹田氏のツイートが住田弁護士の人となりを知る上で最適と言えるでしょう。


『そこまで言って委員会で、住田裕子弁護士は、事実関係は不明でも筋読みすると安倍総理は問題と発言。こうやって冤罪は起きる。住田氏は検事時代に草加事件で冤罪を生んだ。逮捕して処分した少年5人は民事で無実が確定。A型とB型を合わせるとAB型になると滅茶苦茶な主張をしたが裁判所は却下している。』


敢えて付け加えるとすれば背景に日弁連の影響があることは橋下徹氏の微妙な変節にも表れています。

いささか思い上がってるんじゃないか

2019-03-10 13:11:48 | 政治

二階氏が大阪クロス選挙に対してこうコメントした。




これを受けて松井知事は

『大阪では立民、共産ともチームになって議員の既得権益を守る事こそが、住民を馬鹿にした思い上がりではないでしょうか。』とツイートで返したが、任期を8ヶ月も残しての入れ替え選挙は全て都構想のためである。


松井知事に反論のネタにされた当事者松川ルイ議員は

『クロス選挙で都構想とは、ツッコミどころ満載。プーチン、メドベージェフ体制の二番煎じという以前に、橋下松井体制でもやったはず。一旦、数十億かけてやったら住民投票で否決された都構想をまた数十億かけて住民投票と…』とクロス選挙を批判し返した。


私は杉田水脈議員に対するポンコツ発言をした橋下徹を絶対に許さない。

身を切る改革は当然の政治姿勢であり、当たり前のようなクロス選挙での夢の再実現も、

『わてら身を切ってるさかいお前ら府民ももう一回ぐらい辛抱してもええんちゃうの!?』

という傲慢さが透けて見えるのである。今回だけは二階氏のファインプレーとして、丸山議員もいることであるし、私のクロス選挙批判はこれぐらいにしておく。

が、杉田水脈議員への発言は残り続けるからな維新よ。

幸福実現党と日本維新の会の共通点

2019-03-10 08:56:23 | 政治


《結論から》
両党とも大統領制を目指している点で共通の政治目標を掲げている。議院内閣制を否定的に捉えているのだ。

大統領制によって一番危惧されるのは國體破壊であり、天皇の位置付けだ。
両党からこのことに関しての言及は見られないが譲位や改憲法案に関する主張によって間接的に窺い知ることは出来る。




○幸福実現党


【譲位】

29年5月

前略
『そもそも、皇室は天照大神のご子孫であり、天皇陛下のご本務は、神道の祭祀を司る祭祀王としての「祈り」にほかなりません。国柄を守るため、譲位ではなく、公務の見直しを通じて天皇陛下のご負担軽減を図るべきであるというのが、わが党の考えです。

 わが党は皇室の弥栄を心から願うものであり、宗教的・文化的存在としての皇室の永続に努めてまいる所存です。ただし、女性宮家の創設は、女系天皇の誕生に道を開きかねず、男系による皇統の維持を危うくする恐れがあることから、慎重であるべきと考えます。』


【第1条改憲案】
『国民は、和を以って尊しとなし、争うことなきを旨とせよ。また、世界平和実現のため、積極的にその建設に努力せよ。』

28年8月

前略
『自民党は天皇を元首とする改憲草案を示していますが、幸福実現党はかねて天皇に政治責任や戦争責任が及ばないよう、宗教的・文化的存在としての皇室の永続に努めるべきだと考えております。わが党は皇室の弥栄を心から願うものであることを付言いたします。』




○日本維新の会

【譲位】



【28年3月改憲原案】

現行のまま


幸福実現党は皇室を宗教として位置付けその弥栄を願っており、一見皇室への尊崇を思わせるが、改憲案の一条から天皇の条項が消えている。

まだ維新の方が保守"的"である。つまり日本国憲法の天皇条項には指一本触れていないからである。

つまり維新のほうが天皇に触れない分に於いて善であるが、あえて触れずにいることは極めて偽善的であることが濃厚とも言えるのである。


従って天皇を元首とする自民党だけが、まともな政党であり、女性宮家創設に反対する安倍政権こそが保守として正しい天皇観であるのだ。



南京笠原十九司を斬る

2019-03-08 18:05:13 | 時事
中国の公式見解

 「日本軍は野蛮にも南京に侵入し、残酷極まりない南京大虐殺事件を引き起こした。30万人の同胞が殺戮、無数の婦女が蹂躙殺害され、無数の子供が非業の死を遂げた。3分の1の建物が破壊され、大量の財物が略奪された」

中国外務省報道官

 「南京大虐殺は日本の軍国主義者が犯した残忍な犯罪であることに議論の余地はない。過去の侵略を覆そうとする試みは日本の国際的な信用を損なうだけだ」


日本政府公式見解

日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。




笠原十九司 都留都留文科大学名誉教授

『日本の中学校と高等学校の歴史教科書の全てに記述され、日本政府も公式に認めている(外務省のホームページを見よ)南京虐殺についての映画が、日本の映画館で一般上映出来ない日本は、国際社会から見ればとても恥ずかしい国であり、誇ることはできません。そうしたなかで、今回の「南京!南京!」上映会は日本人の"良心の灯"といえます。今回灯される"一つのの灯"が、やがて全国に広がっていくことを願ってやみません。』



ネットで拾った画像を文字起こしした。笠原名誉教授は中国近現代史が専門の歴史学者である。そんな彼が名誉教授の名に懸けて「ホームページを見よ」と命令形で力説するのが映画である。

しかも南京戦のみにフォーカスされた中国映画の日本兵の視点で描いてるという奇妙な偏り方のエイガだ。

学術的とは程遠いポエムのような宣伝文句は中国のプロパガンダ映画の上映を"良心の灯"としているが、広がることもなく初期消火された。

両国の公式見解を見てもわかる通り真逆であり、歴史認識問題にもなっている。中国共産党が上映を許可し日本に於いては上映禁止状態であることは日本人として南京事件を認めることが"良心"であるとは認識していない証であり、笠原名誉教授の思惑とは真逆であることを明確に示している。

それが虚構の歴史であれ、それに基づく映画であれ『軍国主義が犯した残忍な犯罪』と国の名誉を毀損されることが許容出来ないのである。

日本政府の南京事件に関する公式見解に2.3があるのは少なからず国家としてはそれを認め謝罪と賠償をしてきたことを示している。

それを相手国の意に沿った研究と解釈で【否定出来ない】ことを【公式に認めている】から見ろとの傲慢さは一体何処の国の名誉教授なのだろうか。

この名誉教授から毎年新たな教員が量産されている。少なくとも大学は彼の名誉教授から名誉を剥奪すべきである。さもなくば都留文科大学をこれからはツルツル文科大学と心の中の灯として唱えさせていただく。





南京館長は何しに日本へ?

2019-03-07 12:39:00 | 時事



写真は南京大記念館の館長である。彼が来日したことを共同通信が何部かに分けて特集記事を出している。以下本文


https://this.kiji.is/475913364910916705


訪日した南京大虐殺記念館長が語った「メディアの役割」
第1部
2019/3/6 15:29
©一般社団法人共同通信社


2月17~21日、中国の江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」から張建軍館長と事務局長の2人が非公式に来日、滞在していた。張館長が「古い友人に会いに来ただけ」と話すように、記念館と交流を続けてきた日本の研究者や団体から招かれた私的な訪問だった。館長として来日するのは今回が初めて。記念館からは毎年職員が訪れているが、現役館長の訪問は2009年の朱成山館長以来、実に10年ぶりという。

 1937年12月に起きた「南京大虐殺」については、犠牲者数などを巡って両国間で歴史認識の溝が埋まらず、日本では「大虐殺はなかった」と完全否定する人たちもいる。学生時代に南京で現地の学生らと生存者の聞き取り調査をした記者が、張館長が関西を訪れた2日間、館長らに同行。有識者との意見交換や友人らとの交流の様子を取材し、メディアの役割や歴史認識について思いを巡らせた。(共同通信=大阪社会部・市川真也)

 2月20日午前、張館長と最初に合流したのは、特別展「カメラが写した80年前の中国」が開催されている京都大総合博物館(京都市左京区)の前だった。共同通信は南京事件80年の節目だった2017年12月、現地で張館長に単独インタビューをしているが、私は初対面だった。ややぎこちない様子で握手を求めると「おはよう」と、応じてくれたが、警戒されていると感じた。今回の来日を聞きつけた他のマスメディアの記者も、張館長に取材を申し込んだが全て断ったという。ただ一言でも国際問題を招きかねない記念館の館長の立場を考慮すれば当然かもしれない。

 博物館での見学を終え、南京との交流を続けてきた団体と一緒に食事をすることに。張館長は積極的に団体のメンバーらと意見を交わした。「南京大虐殺があったと言うだけで攻撃されることもある」と不安を口にした日本人男性に、「過去と誠実に向き合うことで今ある平和の尊さを学ぶことが大切」と答えた。「若い人が記念館に行けば、現実を目の当たりにして考え方が変わるのでは」との声には、「おっしゃる通りだ。若者をどんどん連れてきてほしい」と同意した。


▽現場に行くことでの気付き

 私は大学在学中の2015年、中国黒竜江省ハルビン市にある展示施設「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」を訪れ、翌16年には「南京大虐殺記念館」を見学するなど、現地に赴くことを大切にしてきた。それは北京大留学時、中国人ルームメートと「抗日ドラマ」を見ているときに言われた「たくさんの中国人が知っているにもかかわらず、日本人が知らない歴史は数多くある」という一言がきっかけだった。

 中国のテレビで絶えず流れている「抗日ドラマ」の舞台になった場所に行ってみたい―。ただそれだけの気持ちだった。好きな歌手のライブに行きたいとか、SNS上で見かけたきれいな撮影スポットで自分も写真を撮りたいとか、そういった気持ちと全く変わらない。多くの場合、現場に行くことで何らかの気づきや感動、充実した学びが得られるのだと思う。特に若いころに訪れて見たものほど、その後の人生に大きな影響を与えるはずだ。

 外国の戦争博物館を訪れるのはハードルが高いように思われるが、南京は距離的には第2次世界大戦やホロコーストの展示館があるヨーロッパよりもずっと近く、旅費も安い。インターネットで何でも情報が手に入る時代に、若者の中には「行かなくても分かる」と言う人もいるだろう。ただ行かなければ分からないことも必ずあるはずだ。 日本の加害や戦争犯罪を伝えるマスメディアを偏向報道と言い、こうした情報に目や耳をふさいで思考停止に陥るぐらいなら、現地で確かめてほしい。大虐殺記念館を「反日教育の施設だから」と色眼鏡で見て、足踏みするのでなく、一歩踏み入れるべきではないのか。実際に現地で見聞きした経験を踏まえて「どう偏っているのか」を指摘するなら、説得力を持つだろう。

 張館長はマスメディアについて次のように言及した。「良くも悪くもメディアの持つ社会的影響力は大きい。社会の良心であるべきだ」。例えば、日中相互の好感度調査は報道の影響を受けるという。だからこそ「メディアが歴史に目を向けなければ、社会全体が心配されるものになってしまう」と憂慮する。

 ▽「違い」と「共感」

 過去に中国共産党の直属機関である中央宣伝部で仕事をしていた経験がある張館長は、数多くの新聞記者やテレビ記者と交流してきた。その意味ではマスメディアの仕事に理解があるとも言えるが、報道全体をコントロールしてきたとも言える。一党独裁の中国ではメディアが国民の思想形成を主導する立場にあり、表現の自由が重視される民主主義社会の日本におけるメディアの役割とは根本的に違う部分があることは忘れてはならない。だが、記者個人が果たす役割を巡っては共感する部分があった。

 嵐山公園(京都市右京区)にある「周恩来総理記念詩碑」を訪れ、その帰り道。渡月橋を眺めながら桂川沿いを張館長と並んで歩いていると「理想的な記者とは」という話になった。「ずっと考え続けている」と正直に伝えると、張館長はほほ笑み、足元にあった石を拾って、地面に丸い円を一つ描いた。

 「これが何だか分かる?レンズですよ」。張館長はカメラを構えるしぐさをして言葉を続ける。「同じ場所に立っていても、川の方にレンズを向ければ川が映り、山の方に向ければ山が映る。社会の全体像を映し出して国民の理解を深めることが記者の役割」と教えてくれた。「大事なのは『眼光』(中国語で視線やビジョン、まなざしなどの意味がある)」と力を込めた。

 京都から大阪への移動の車中でも記者像について尋ねる時間があった。張館長は「撮るべきものを全てレンズに収める必要がある」と話した。「現地(記念館)に来てほしい」と呼びかけ「全体像を伝えるべき」と訴えかける姿勢は、これまでの中国の要人とは一線を画すのかもしれない。中国国内向けの宣伝だけをするのでも、都合のいい部分を切り取って伝えるのでもない、「開かれた記念館」を目指そうとする張館長の態度からは、日中友好の希望が見えた気がした。メディアの役割に期待を感じるのと同時に責任感をかみしめた1日となった。


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まずはじめに記念の使い方の差に気付くが、南京大記念館は日本では南京大虐殺記念館である。
日本の広島、長崎が、原爆資料館であり、記念館とはしていない。終戦も記念日だが終戦の日になっている。
つまり、記念とは忘れないように記憶するという意味だが日本では悪い意味ではあまり使われない慣習があるのだ。

中国人に時計や傘などのプレゼントは厳禁であると良く聞くが言葉の発音や縁起の悪い数字に敏感な国民性があるのだろう。

その意味で言えば日本人で南京大虐殺記念館の記念に少なからず違和感を抱いている方は少なくないだろう。更にその数字の30万にも違和感どころか懐疑的に捉える日本人が殆どであることも事実である。

30万という途轍も無い数字はその事件があったか無かったかとの単純だが重要な議論や研究を前段階で否定する意味のみに於いてはナチスのホロコーストと酷似している。

この館長の来日目的は本文中にあるように、
【「南京大虐殺があったと言うだけで攻撃されることもある」と不安を口にした日本人男性に、「過去と誠実に向き合うことで今ある平和の尊さを学ぶことが大切」と答えた。「若い人が記念館に行けば、現実を目の当たりにして考え方が変わるのでは」との声には、「おっしゃる通りだ。若者をどんどん連れてきてほしい」と同意した。】

つまり日本の若者に対して記念館に来るようにとの宣伝が真の目的なのだ。

但し日本人男性の言う『あったと言うだけで攻撃される』はかなり偏りのある誘導的な枕言葉である。ご存知のように『無かった』と主張した方が
国内では話題になり、それなりの反発を受けるのもアパホテルの件で周知している。

したがって国内ではこの両方を発言すれば等しく叩かれるのであり、決着しないのだ。

最近風当たりがつよくなったこともあって、日本の若者達の再教育の必要性を思い立ったのであろう。

後半の報道談義で記者とはレンズに全体像を映すこととあるが、このレンズは歴史観と言い換えることができるだろう。

全体像を映しても中国から見るのと日本から見る全体像は月とスッポン程の違いであり、館長は間違いなく純真無垢な若者の月をスッポンに変える使命感から来日しているのだ。