日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は、昭和56年のヨハネ・パウロ2世の来日時に、混用されてきた「教皇」と「法王」の呼称を世俗の君主のイメージの強い「王」という字を含む「法王」でなく「教皇」への統一を定めていた。
したがって日本のカトリック教会の公式な表記では、「教皇」が用いられている。また信徒の間では、親しみを込めた敬称「パパ様」とも呼ばれているようである。
教皇は、カトリック教会の長として宗教上の権威と、バチカン市国の国家元首として国際法上の権威の両方を保持しており、東京ドームで5万人のミサには驚愕する。
日本におけるキリスト教徒は、カトリックが約45万人、プロテスタントが約55万人といわれているが、総人口比約0.3%にとどまり、カトリック人口は極端に少ない。
しかし、これが世界的となるとカトリックは11億人プロテスタント3.5億人と逆転する。つまりザビエルの頃より日本はキリスト教が定着しにくい環境と言えるのである。
カトリックがイエズス会のフランシスコ・ザビエルとともに16世紀に入ってきたのに対し、プロテスタントの日本での布教は明治維新以降と遅れるがこのことをとっても然りである。
日本政府が太平洋戦争が始まって間もない昭和17年にバチカンと正式に外交関係を結んだが、当時ムッソリーニのファシズムが吹き荒れるイタリアにおいてその権威は失墜していた。
日本がバチカンと国交を結ぶ意義を見出したのはいずれやってくる講和交渉のテーブルに着くためにバチカンの影響力に期待していたとも言われている。
昭和55年5月、5重の塔にABC級戦犯とされる1068柱の位牌がヴァチカンに奉納され祀られている。
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これだけでも靖国神社から戦犯を分祀しようとする考えがいかに愚かな誤謬であるかがローマ教皇の来日で再確認できるのである。
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