長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

またまたフランス人が英語で蕎麦会にやってきた。

2016-01-07 08:59:34 | Weblog

正確にいうと、「またまたフランス人をポンボキに成功した」か?

火曜日は、スカイツリーに来ている3人のフランス人に英語で話かけ

「近くのへんな蕎麦屋でこれから蕎麦喰いがてら、英語の勉強するんやけど、いっしょしない?」

と誘い、うまくいった。9勝2敗くらいで、国際的なポンビキに成功している。しかも9勝のうちの3割くらいが

フランス人。母国語ではない英語を使うので、米(あめ)ちゃんや、英ちゃんよりもわかりやすい。

若い男女のカップルと、その女性のにいちゃん。にいちゃんは、マダカスカル島の東のモーリシャスの小さな島

(フランス領)からきた。総勢10人の「国際的な蕎麦会」ができた。なんかうまく表現できないけど、「どこにも類のない英語で蕎麦会」

が進行中みたいな感じだ。

学生時代にフランス人で猫をかっていて、いつも冬はちゃんちゃんこを着ていた不思議な青年が、仁和寺のアパート

にいた。ぼくは近くの鳴滝本町に住んでいたので、仁和寺のアパートに住む熊本人ふたりが住むそのアパートによく

遊びにいった。界隈は「京都魔界地図」には必ず登場する場所(ならびがおか、とかいう)で、そのアパートの

一室(ボロだから4部屋借りて普通の家賃だった)もよく泊りにくる人がかなしばりにあった。酒好きの熊本人が

大いに酒を飲む場所なので、「みんな借金で首がまわらなくなったんでは」と冗談をいっていたんだが、在る日、

みなで酒を飲み、タオルをまいてボクシングになった夜がある。みんなかなり飲んでいたので、そのようになった

んだが、下戸でふだんはまじめな松村くんというのが、しらふで途中参加したもんだから、みんなサンドバッグになって

彼にいいように殴られた。ぼくもふだんなら左のジャブだけで、大丈夫だろう相手に不覚をとって、そのいっては

いけない部屋でダウンしていたら、かなしばりにあった。普段の恨みをはらしに松村くんが上にのったと思っていた

ら、老婆のような顔がそこにあった。その不思議な古色蒼然たるアパートも今は取り壊され、マンションになったらしい。

あの老婆は、どこにいったのだろうか?などと時々思う。京都市バス59番「宇多野・山越」行きにには、

京都の青春時代の物語がいっぱいあって、将来何か書きたいと思っている。

今日は「おとこ かっぽれ」

明日は「ねんどの会」だ。一年の計は元旦にあり、なんていわれる。今年は

いろいろな物語が生まれそうな予感があり、ワクワクしている。


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