久しぶりの東京でのお正月。
昨年は、「松休み」と称して、6月と11月に実家に帰り、
90歳の親父に松の手入れを習う。やまね組の「宇部のコンサート」
もあったので、去年は3回帰省した。
60の手習いも、少し遅しという感もあるけど、90歳で梯子にのって鳶よろしく植木をいじる親父もすごい。
先日その親父も91歳になった。大正14年生まれなので、年と昭和の数が同じ。
つまり今年は「昭和でいうと、昭和91年。戦争が終わって71年目。」ということにあいなる。
今年は申年。厄年であり、還暦を迎える年だ。
大みそかまで「蕎麦打ち」をばんばんやり、新人の蕎麦打ちさんらのケツをバンバンたたき、
なんとか、大みそかのボクシングをテレビで観戦した後、除夜の鐘を聴いた。
朝寝坊して、お店にいき、三番叟の猿と、神棚にお神酒を供え、姪っ子たちと約束
した「新年の鮨会」の準備。幸い、近くのお店が新年から空いているので(全国どこもそう)、
魚はそこで調達し、柳包丁だけを研いで、珈琲の器具の入った茶箱とかを車に積んで
蒲田までいく。人が少なくなった東京は車が少なく、いつもの半分くらいで着くつもりだったが、
渋滞個所もあり、3分遅刻。昼は5歳になる姪っ子の「かのん」に手伝ってもらいながら、
ガレットを人数分の10枚焼く。かのんが軽いやけどをしたけど、「元気シール」に指をつけると
すぐに痛みがとれた。天真爛漫な子どもには、この「TQ技術」のすごさが正直に伝わって気持ちがいい。
夜は「鮨会」だ。10人で一升ごはんを炊いた。飯台で酢飯を作る。もちろん子供たちも参加。
飯を炊く人、うちわであおぐ人、酢飯をしゃもじで作る人・・・みんなでやると鮨も楽しいもんだ。
ネタは、マグロ、ぶり、赤貝、ひらめ、いくら、卵焼きをもっていった。親戚にあたる平井の
「やなか草」の親父がふぐのさしみをくれたので、豪華な鮨会になった。有名なラーメン屋さん
だが、もとは板前で、ふぐの調理免許ももっている。
子供たちは、イクラと卵に人気が集中。大人たちは、「なんといってもマグロですよ」よろしく、赤い鮨
が、どんどん胃袋の中に消えていく。今回は、燕の金物やさんが特許申請中の「鮨のにぎり製造機?」
のようなものをもっていったので、子どもたちにも、おもちゃ感覚で「にぎり鮨」ができて、おおいに盛り上がった。
その日は暮れの疲れもあって爆睡し、9時にみんなで、東京湾アクアライン経由で千葉の市原にいく。
アットホームな動物園が目的地。「さゆりワールド」と「ぞうの国」という、あまり知られていないが、
小さなサファリーパークみたいで、キリンやぞうさんたちに直接えさを与えることができる楽園だ。
犬もいるし、「この星で一番危険な動物」と書いた、人間が入るオリまである。まさにいいえて妙だ。
木更津?にアウトレットができたせいか、森田健作効果?か知らないけど、正月2日のアクアラインは
行きも帰りも大渋滞だった。
今日はやっと年賀状を書き、仕込みをし、これからお屠蘇。酔香さんからもらった「さる酒」を飲む予定。
明日の朝の「卵かけごはん」が事始め。8時スタート。
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