伊那市高遠町、町の中心部旧道沿いの小高い丘の上に建福寺があります。(今回の写真は以前撮影したものです)
旧道からお寺に登る石段脇にある石仏群です、
江戸時代、高遠藩の政策で(出稼ぎに)高遠の石工として全国各地で活躍したそうです。
左側にあるのがその中でも名工と呼ばれる守屋貞治(もりやさだじ)作、延命地蔵大菩薩
その奥に見える屋根に下には守屋貞治作、西国三十三ヶ所観音像が並んでいます。
石段右手にある楊柳観音(渋谷藤兵衛作とあります)さらに右手に不動明王(写真はありません)があります。
西国三十三ヶ所観音は貞治、50代の秀作と呼ばれているそうで
江戸時代の作とは思えない精緻なつくりの観音様です。
石仏の台座の前には観音札所の御詠歌が書かれていますが、一部は判読しづらいところもありました。
建福寺は高遠城主だった保科氏の菩提寺ともなっていたそうです。
石仏がたくさんあり、写真点数が多くなったので続きは次回に・・。
旧道からお寺に登る石段脇にある石仏群です、
江戸時代、高遠藩の政策で(出稼ぎに)高遠の石工として全国各地で活躍したそうです。
左側にあるのがその中でも名工と呼ばれる守屋貞治(もりやさだじ)作、延命地蔵大菩薩
その奥に見える屋根に下には守屋貞治作、西国三十三ヶ所観音像が並んでいます。
石段右手にある楊柳観音(渋谷藤兵衛作とあります)さらに右手に不動明王(写真はありません)があります。
西国三十三ヶ所観音は貞治、50代の秀作と呼ばれているそうで
江戸時代の作とは思えない精緻なつくりの観音様です。
石仏の台座の前には観音札所の御詠歌が書かれていますが、一部は判読しづらいところもありました。
建福寺は高遠城主だった保科氏の菩提寺ともなっていたそうです。
石仏がたくさんあり、写真点数が多くなったので続きは次回に・・。
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