品川神社
2010年02月21日 | 旅
東京に行った際に、品川神社に立ち寄ってきました。
立派な鳥居をくぐり、石段を登ると中段から左手に、
また鳥居がありこれは富士塚と呼ばれ(ミニ富士山です)
石も富士山の溶岩を持ってきたそうです、富士山に登れない庶民の信仰を集めたそうです。
石段を登りきり左手にある、浅間神社。
石段から振り返ると国道一号線、高架は京浜急行 最寄駅は新馬場駅
品川神社本殿
本殿脇の紅梅がきれいに咲いていました。
本殿の脇に明治の政治家 板垣退助の墓所の案内が小さく出ていたので
本殿の裏を回り込むように進むとそこに墓がありました、
なぜ神社に墓があるか不思議で尋ねたら
この墓地があったお寺が別の場所に移転した際この墓のみ残されて
歩いて行けるのは神社からの道だけ残ったようです。
(向かって右が板垣退助、左は夫人の墓)
「板垣死すとも自由は死せず」と佐藤栄作の書が刻まれた石碑があります。
(案内板を参考までに)
立派な鳥居をくぐり、石段を登ると中段から左手に、
また鳥居がありこれは富士塚と呼ばれ(ミニ富士山です)
石も富士山の溶岩を持ってきたそうです、富士山に登れない庶民の信仰を集めたそうです。
石段を登りきり左手にある、浅間神社。
石段から振り返ると国道一号線、高架は京浜急行 最寄駅は新馬場駅
品川神社本殿
本殿脇の紅梅がきれいに咲いていました。
本殿の脇に明治の政治家 板垣退助の墓所の案内が小さく出ていたので
本殿の裏を回り込むように進むとそこに墓がありました、
なぜ神社に墓があるか不思議で尋ねたら
この墓地があったお寺が別の場所に移転した際この墓のみ残されて
歩いて行けるのは神社からの道だけ残ったようです。
(向かって右が板垣退助、左は夫人の墓)
「板垣死すとも自由は死せず」と佐藤栄作の書が刻まれた石碑があります。
(案内板を参考までに)
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