TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

多良海道を往く

2022年12月11日 | 街道
コロナで一時中断していた史跡見学(諫早市美術・歴史館主催)に久々に参加し、多良海道を諫早から肥前長田まで歩いてきました。その中で特に印象に残ったことを紹介します。

1 諫早神社(明治の神仏分離前は「四面宮」と言っていました)

本殿


側面の木の壁


これがナント、一枚板!


元の木はどれだけ大きかったことか…
境内のクスノキも大きいのですが、あれほど大きな板はとても取れません。

クスノキ群(県指定天然記念物)



手水鉢


手を清める手水鉢ですが、水ではなくアルコールが置いてあります。
さらに、木彫りのアマエビ様も


近い将来、お手水鉢に水が流れ、アマエビを指しては「コロナ時代の名残だね」と言える日が来てほしいものです。

参道の石


参道に並んでいる石のことがわかりました。
等間隔で埋めてある石は、元は本明川の飛び石だったそうです。昭和32年の諫早大水害で流されていた石を、後の河川改修工事のときに発見し、諫早神社の参道に埋めたそうです。
今の飛び石は水害後に新たに置かれたものだそうです。

今の飛び石






2 慶巌寺

摩崖仏所三十三観音


中には色が残っているものもあります。



山門


この山門は元は四面宮(今の諫早神社)の境内にあった荘厳寺のものですが、明治の神仏分離令により荘厳寺は廃され、山門だけが慶巌寺に移されたそうです。

中央部をよく見るとお猿さんのレリーフが施されています。


お猿さんが食べているのは桃で、これは不老不死を表しているそうです。


3 安勝寺

時鐘楼


黄葉した銀杏


紅葉



4 寄り道
安勝寺の後、多良街道から少し外れて寄り道をしました。

珍しい恵比寿様のレリーフ


鯨塔

諫早で鯨が獲れていた名残の石碑です。

龍宮

水神? 海神?

野呂邦暢宅跡




諫早市を舞台にした小説や随筆を多く残した芥川賞作家の野呂邦暢氏の終の棲家跡。諫早愛がにじみ出ている「諫早菖蒲日記」や「落城記」はこの地で誕生しました。

光江津


河川改修で姿が変わったと思いますが、江戸時代ここは重要な河口港だったそうです。佐賀までは、陸路だと3泊4日かかるのが、船だと天気にもよりますが14~15時間で行けたそうです。ただし、干満の差が大きい有明海なので、満潮時しか船がつけられず、上げ潮入船、下げ潮出船だったそうです。

「光江」の地名を残す石碑

「旧地名 光江」


5 妙本寺

多良海道沿いの石段を登って妙本寺へ


そこは見晴らしのよい高台になっていました。


私のホームマウンテン上山もバッチリ見えています。それもそのはず、ここは昔の山城の跡に建てられたお寺だそうです。

新しい観音様も建てられていました。


大きい!


美しい!



6 肥前長田駅
長田にある天満神社も見学する予定でしたが、帰りのJRの時刻が迫ってきたのでパスすることになり肥前長田駅へ。



肥前長田駅の時刻表


14:49発で帰りましたが、これを逃したら次は17:17なので見学地を一つパスして正解でした。
多良海道はこの後、湯江、多良、浜、鹿島、牛図、佐賀へと伸びていて、今回歩いたのはその一部でした。
続きはまたの機会に。
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