~ 蒼(あお)に 微睡(まどろ)む ひととき ~
今日も快晴、暑くなりそうです。
朝食は、宿の「カフェやぶ椿」でいただきます。
今回は宿の夕食を取りませんでしたが、品数多い朝食を取ります。
夕食の素材は、島原湾、八代海、天草灘に囲まれた海の幸の宝庫、間違いなく美味しい海鮮天草です。
そして作り上げるのは女将と地元のおばちゃん達。
弟から本渡で食べるなら「奴(やっこ)寿司」がいいよとメールが入っています。
芸能人も多く訪れ、有名料理評論家が「日本三大寿司」に選ぶお店です。
創作寿司らしく、梅塩、うに塩、黒七味、刻みわさび、柚子胡椒、おろしポン酢などで食べるとのこと。
すぐに予約してみますが、取れませんでした。
道に出ると色合い綺麗な海水が満ちてきています。
本渡バスセンターでスーツケースを預かって貰い(無料)、タクシーで向かうのは、城山公園に建つ「天草市立 天草キリシタン館」。
高台にあり本渡港が一望です。
16歳で一揆軍の総大将にかつぎ上げられたとも言われる美少年「天草四郎時貞」、指差す向こうに何を求めていたのでしょう。
もしかすると「金のさかさ瓢箪」が馬印だったとする天草四郎は「豊臣」の末裔だったかもしれません!
この戦いは、豊臣と徳川の最後の戦いだったといえるかもしれません。
天草切支丹記念館所蔵の「天草四郎陣中旗」は必見です。
西ヨーロッパの十字軍旗、ジャンヌ・ダルクの旗とともに世界三大聖旗とも言われています。
「天草切支丹館」を左に出て坂を下っていくと、天草ならではのお寺曹洞宗「明徳寺」へたどり着きます。
お地蔵さんの顔立ち、花筋や髪型が変わった外人のような異人地蔵が建っています。
階段の数箇所にキリストの十字が刻まれています。
十字を踏みながら登る、踏み絵と同じ意味の階段でしょうか? 真相は今だにナゾです。
炎天下の中、タクシーを待っていると、実車が多く通り過ぎていきます。
バス停で待っていると、先ほどの実車のドライバーが客を降ろして戻ってきてくれました。ありがたいことです。町の話しも聞けて旅気分を満喫します。
本渡の中心地に戻り、天保3年(1832)に架橋された国指定重要文化財の石橋を見に行きます。
タイムトリップできる橋、祇園神社の前にあるため通称「祇園橋(ぎおんばし)」と呼ばれています。
この橋がある付近一帯は、天草島原の乱の時(寛永14年11月14日)に島原・天草一揆激戦の地となった場所です。
一揆軍と唐津藩が町山口川を挟んで死闘を繰り広げ、川は血で赤く染まったと伝えられています。
祇園橋の近くを歩いていたら、ここにも「蜂楽饅頭」 本渡支店を見つけました。
暑くて暑くてかき氷を頼みます。
それと、どちらか区別がつかない白あんと黒あん。
前日行った熊本本店よりは「コバルト」の色が薄いようです。
本店には無かった「フルーツクリーム」。薄っすらとピンクの蜜がかかり鹿児島天文館の「氷白熊」のようです。
ご主人にお昼の旨い場所を聞きますが『これと言って無いね~』と
『奴寿司も生簀やまもとも観光客相手の店だしね~』 と
『この近くの行きつけの寿司屋があるけどシャリもネタもデカイよ~』と
結局決まらず、炎天下の中さまよいます。
結局決めたのは観光客が訪れる「いけす やまもと」。
巨大ないけすからすくった新鮮な天草の地魚をいただきます。
頼んだのは「天草 超 ぜいたく丼」(天空まぐろ入り、うに、あわび付き)。
あれ? 刺し身は新鮮なはずなのに何故か口にあいませんね・・・
分かりました「醤油」です。
熊本は、醤油が甘く馬刺しや鳥刺しには合うのですが、こちら関東の色は薄めの濃口醤油に40年も慣れ親しむと、甘さが気になります。
特に寿司や刺身に付けるのはどうしたものか?!
「奴寿司」屋で、醤油を付けないで供することで、人気が出た事が分かりますね。
東京生まれの友人が言っていたのを思い出します。
九州に行くときは、小さいボトルに醤油を入れて持っていくと。
忘れてました。旨く刺身を食べる時は、忘れずに関東の醤油持っていきましょ。
つれあいが取ったのは、いけすからあげたての天草地魚活き造り『黒潮御膳』。
醤油が刺身用と寿司用と2種類ついてはいますが、やはり色は濃く甘いですね。
時間があれば、南に足を伸ばして、ひっそりとした漁村に佇む教会「崎津集落(世界遺産に申請)」に行きたかったのですが遠すぎますね。
本渡バスセンターで手荷物を引き取り、早い時間ですが迎えにきてもらいます。
今日泊まる「ホテル アレグリアガーデンズ天草」に向かいます。
「天草の蒼にまどろむ 六編 - クリックで閲覧できます。」
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