目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

89歳☆母は社長です

2016-08-04 | 日記
おはようございます。


朝から晴れてますが午後傘のマークが付いてます。


不安定なお天気は今日も続くようですね。


昨日、久しぶりに母と電話で話しました。


血小板の減少という病気で病院が良いですがボケもせずそれなりに元気そうです。


以前は二週間に一回輸血をして健康な血液を補充していました。


それが最近は三週間に一回となり自分自身の血小板数も増えて来ているようです。


『何か特別以前と変わった事しているの?」

と尋ねた私に『へへ』と笑いながら


「良いのか悪いのか判らないけど最近納豆とナメタケと大根おろしを毎日食べている」と応えました。


納豆が良い事は前から云われて居たのに、


母は納豆が大嫌いでした。


反対に父は納豆大好きだったけどね。


身体に良いと云われても嫌いなものを食べる気にならなかったのね。


でも同居している兄が毎朝作ってくれるそうです。


何お取り柄もないあの兄さん、良いとこあるじゃないか。


兄さんがしっかりしないから

訳あって零細企業の小さな有限会社ですが89歳の母が社長です。


頭はしっかりしているので出来るのでしょうね。


今年は今までに鳴く景気が悪いと嘆いていました。


本来なら引退して隠居ぐらしで良い年齢なのに商売の苦労をしなければならないのはお気の毒。


私には何のヘルプも出来なくてごめんなさい。


ただ、そうして自分がしっかりしなくちゃという思いがあるから

元気でいられるのかもしれません。


社長と云ったって何をする訳でもなく名前だけです。


でもやっぱり責任感はあるのですね。


ご苦労様です。



来年,春には90才になりますからその時には残り少ない家族でお祝いしてあげましょう。


喜寿も米寿も祝い事をすると人生が終わるといってお祝いさせてくれませんでした。


でも90まで生きればそろそろ人生劇場、幕を閉じていいころだと思います。


一度くらいお祝いをしてあげたいのです。


ですから少なくとも春までは元気で居て欲しい。


年が年なのでいつどんな知らせが来ても良いように心構えはしています。


若いときから家を離れ音信不通のような暮らしをして来ました。


ですから母に恩返しのような事は何も出来ていません。


父母が困っている時に助ける事も出来ませんでした。


反対に亡くなった妹はずっと母のそばで暮らしていたので


旅行に行ったり、ご馳走を食べに行ったり、


ずいぶん親孝行したみたいです。


親孝行の娘が先に逝き、親不孝の娘が残りました。


それでも母はいろんな事を許してくれて娘が訪ねて行くといつもお小遣いをくれるのです。


母が居なくなったら私にお小遣いくれる人はもう誰もいませんね。


妹は勤続35年の地方公務員でした。


生涯未婚で病気のため退職しましたが退職後一年も経たずに亡くなってしまったのです。


今は母が遺族年金を受け取っています。


死んでからでも親孝行している妹なのに私はふがいない姉でごめんなさいね。


後悔する人生を歩みたくない


それが私の人生目標だったはずなのに


この年まで生きて来て振り返ってみると後悔ばかりです。


思い通りに行かないのが人生なのかもしれません。


空は青空。


今日は降らないといいですね。








































にほんブログ村 シニア日記ブログ 女性シニアへにほんブログ村

人気ブログランキングへ
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 防衛大臣 | トップ | 古代小麦粉でパンを焼く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事