近くの川です。
大阪は、たぶん瀬戸内気候に属すると思います。 年間の降水量は少ないのでしょう。 でも今日は、おとといまでの雨のせいか、ごらんのとおり綺麗な水です。
泉州地方の水は、昔から日本有数の軟水だそうで、木綿を晒すのに適しています。 江戸時代、和泉木綿や河内木綿は晒し(布帛)が白く、江戸、日本橋の大伝馬町での取引はトップランクだったそうです。 泉州の漁師は、鰯をとり、干鰯(ほしか)にして、綿畑の肥料にして、わたを育てたそうです。 一時、米を作らないことを領主が怒ったら、年貢をお金で納めたこともあったと聞きます。 その当時、大阪湾の港の代表は堺で、次が、佐野(泉佐野市)だそうで、地元史で、私が習った、佐野の食野家は、日本指折りの豪商だったんだそうです。
その流れから、泉佐野に、明治時代、大阪の商人が輸入したタオルを見た、泉佐野の機織職人、里井円次郎が、独自にパイルを出す技術を確立し、日本のタオル産地の発祥となりました。(明治20年)
日本のタオルは、そんな経緯をたどってるので、サイズが、今でも欧米と違っています。 晒し布の巾なんです。 またその倍数巾です。 因みに糸の通し方(経とおし)も違います。
おもしろいですね!
つづきはまた
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