この記事は、実際の体験者のかたと見受けられるご投稿を
頂きました。
その投稿ともどもご覧になっていただければありがたいと思います。************************************************
昨日の続きから・・・)
Hさんの幼児期のショックな事件が、トラウマとなり、
それが、一つの原因だったのは否めない。
男性のそうした恋愛時の性的アプローチに無意識に身体が抵抗し、
結局 恋愛は成就しないものだという思いが、さらに
思春期の H さんの、心を空しくしていった。
もう一つの要因に、母親との関係があったかもしれない。
彼女には、常に、母親からの圧力から逃げたいという意識があった。」
母親は Hさんを自分の理想通りの女性に育てようと
情操教育に力をそそぎ、小学生のころから、
月曜日はお絵かき、火曜日はピアノ、
水曜日は、書道、木曜日は踊り、そして、週末は家庭教師と、
おけいこ事と勉強で 同級生たちと遊ぶ時間もなかった。
母親を満足させること、それが手っ取り早く、母からの愛情を
自分に向けてもらえる手段だった。
母が優しい目をするときは、自分が認められたこと。
だから、いかに母親の満足した顔を自分に向けさせるか、それが
心の支柱となって、小学生時代、中学生時代 と過ぎて行った。
ところが、反抗期とともに、自我意識が芽生えるころになると、
母の必要以上の介入が、疎ましく思えるようになっていく。
“自分の周りに無意識に壁をつくり、干渉する母親との世界に境界線をひき”、
自分の心の領域に意識を没頭させることで、
自分を見失わないでいられたという。
就職後、現在のご主人と、職場で出会った。
明るく、将来有望だと誰もが感じる好青年だった。
ただ一つ、彼には、同僚にも見せない側面があることを Hさんは知っていた。
それは、彼の内面のさみしさだった。
子供時代、母親に母親らしいことをしてもらったという思い出はなく、
仕事に夜遅くまで出ていた母親に甘えた記憶がなかった。
寂しい子供時代の中、”無条件の愛”という世間でいう、
母親からの大きな愛に包まれたことがなく、祖母や親せきとの
付き合いも薄い環境の中で育った彼には、
愛の飢餓からくる人への不信感などが、
ふとした時に見せる寂しい表情に顕れていた。
Hさんは それに、気が付いていた。
明るい表面の彼よりも、内面に潜む暗さに、引かれていったのは、
自分しか彼の寂しさを理解できないだろうという、
Hさんの母性的本能があったからだ。
こうして、結婚したが、Hさんが述懐するには、結局、夫にも心身さらけ出して、
自分を全託することができない自分との葛藤が続いたという。
男性への恐怖心が、あのトラウマ事件以来、男性の前で、
素の自分を許すことができない自分をもどかしく、ご主人への
”申し訳なさ”の念に変わっていったという。
夫は 母性愛の深い妻に、自分の母親から得られなかった
優しさを感じることができて満足したが、心身ともに、総てを託してくれない
彼女の何かに言い知れのない、寂しさと不信を 募らしていったのだろう。
彼のように、子供時代に自分の甘えたい要求を無理して抑圧させられてきた人、
あるいは、親に無関心に放逐されていたと感じている人は、大人になったとき、
その反動面が出る。
つまり、相手の関心をひき、愛情を向けたいという抑えてきた意識が、
相手の心の境界線をも力づくで壊してしまう態度に出る場合が多い。
それがMさんの夫の場合、暴力という手段だった。
おとなしくて手のかからない自分の子供を自慢する母親がいるが、
おとなしい子供は案外、無理やり大人たちにそう振る舞うよう造られて、
自分らしさを知ることがないまま、無難な大人へと移行していく。
彼女は その心の解析を、納得した。
一方、彼女の方では、親の干渉から心を守るために、
自分の壁をつくってきただけに、その壁を壊そうとしている
夫の暴力を、許せていたのかもしれないと語る。
暴力を振るわれても、自分が心身ともに、オープンになれない分だけ、
申し訳なさもあったのだろう。
その後、”心のセミナー”で、彼女は心について、真摯に学んだ。
”感覚から影響される心の領域” と 知性の関連、”自我意識” と
”本来の素の自分の心” の区別、など。
そして、人間の本質は、アートマ、つまり、周囲と調和して、
互いに生かしあうことを喜ぶ、”愛深い存在”で
あることも、ストンと 頭だけでなく、心根に落として、理解した。
トラウマを受けたことも それなりに、意味があったのだろうと思った。
その時、今までの述懐に見られたように、
相手のさみしさ、孤独さ、不信感、自分が相手に閉ざしていた部分、
恐怖心の原因とともに、相手の心の中枢を見つめていたのか、
二人の間には何が残っているのかなどを冷静に、考えた。
自分は肉体で、腐って灰になる姿ではあるが、それが 本当の自分ではないことを知る。
核心にある心(アートマ=サンスクリット語で人間の”永遠なる意識”をさす)
という、傷つけようがない存在こそが自分の本来の意識だ。
どんなに年月がかかっても、
自分の心を分解して、もう一度 組み立てたいと Hさんは語った。
そして、その時に、相手の心を、感じることができ、
新しい関係が生まれるだろうとも語った。
今はまだ、この段階である。
これから、どうなるのかはわからない。
どこまで、彼女が実践で、解体して
組み立てた、新しい心意気を相手とシェアーできるのか、
無防備になって、大胆に、そして、慎重に、
相手を信じて生きていけるのか?
Mさんはそれでも、明るい表情で、
“時間がかかっても、努力します”
という言葉とともに、去って行った。
自分が変われば、相手も変わる。
変わらなければ、待てばいい。
いつか、変わる。 自分が変われば。
自分の心にバリアーをはっているとき、
相手に求めすぎて、自分の内省を忘れてしまったとき、
過去の出来事が清算されず、トラウマとして残っている時、
そんなとき、知らず知らずに、
何かのしこりが心にでき始めるのだろう。
心のしこりは身体にも表れる。
体の不調和は心の赤信号だ。
逆も真なりで、
心の不調和は身体の赤信号でもある。
心の奥深い部分までは、誰にも覗きこまれることはないと
思っている私たち、
案外、一番 見えていないのは
その心の持ち主の 自分自身なのかもしれない。
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